キラー・カール・クラップ
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キラー・カール・クラップ | |
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プロフィール | |
リングネーム | キラー・カール・クラップ |
本名 | ジョージ・モンバーグ |
ニックネーム | 青銅の爪 |
身長 | 193cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1940年 |
死亡日 | 1995年 |
出身地 | カナダ・ニューブランズウィック州 |
キラー・カール・クラップ(Killer Karl Krupp、1940年-1995年)は、カナダ・ニューブランズウィック州(ギミック上はドイツ・ハノーバー)出身のプロレスラー。
本名はジョージ・モンバーグ(George Momberg)。ナチギミックの悪役レスラーとして知られ、1960年代後半から1980年代前半にかけてアメリカ合衆国やカナダで活躍した。
ナチギミックの先輩であるフリッツ・フォン・エリック同様にクロー攻撃を得意とし、ブロンズクロー=青銅の爪と称された。総合的な評価としては一流半のB級悪役レスラーというところであるが、来日時期のめぐり合わせもあり日本マットでは比類ない実績を残した。
[編集] 経歴
- 1957年プロレスデビュー。1973年2月に最末期の日本プロレスに初来日、ジョニー・バレンタインと組み大木金太郎&坂口征二組からインターナショナル・タッグ選手権を獲得した。同王座は大木金太郎&上田馬之助組に奪回されたが、同年4月にはフリッツ・フォン・エリックと組み再度奪取している。同王座とインターナショナル・ヘビー級選手権は日本プロレスの至宝であり、限られた超一流レスラーしかそのベルトを巻いていない。末期の混乱に乗じてとはいえ、日プロマット上でインタータッグ王座を二度戴冠した実績は特筆される。
- 1974年4月には新日本プロレスの第1回ワールドリーグ戦に参加、予選リーグ及び決勝リーグでアントニオ猪木にフォール勝ちした。翌年の第2回大会にも参加し、公式戦で猪木にリングアウト勝ちしている。両年とも決勝戦では猪木に敗退した。新日の絶対的エースとして君臨した猪木が完敗を喫することは少なく、この後MSGシリーズ、IWGPリーグ戦と名を変え1987年まで続く新日の春のリーグ戦公式戦において、有名な第1回IWGP(1983年)決勝のハルク・ホーガン戦での不可解なカウントアウト負けを除けば、猪木がフォールまたはギブアップ負けしたのはこのクラップ戦の2度以外にない。初期新日の外人招聘ルートの弱さに起因するとはいえ、まさに並ぶものなき実績と評価できる。
カテゴリ: カナダのプロレスラー | 新日本プロレス | 1940年生 | 1995年没