カワサキ・AR
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カワサキ・AR(エーアール)とは、川崎重工業(カワサキ)が製造、販売していたオートバイであり、シリーズ車種として排気量別に数車種が生産されていた。
[編集] AR125 (S)
1983年、それまで生産されていた空冷モデルであったKH125のモデルチェンジ版として登場。1960年代のモデル、Aシリーズの名を受け継ぐスポーツモデルとなった。水冷単気筒124ccの2ストロークエンジン、上級モデルのGPZシリーズを意識したビキニカウル、金色のキャストホイール、フロントディスクブレーキを装着。最高出力は22馬力。また1986年には、GPZ900Rを髣髴とさせるフルカウルボディを採用した「S」が登場した。
特徴的な機構としてRRISを搭載。ロータリーバルブとリードバルブを併用するもので、後に発売されたKR250にも採用されている。また最適な冷却水温を確保するため、このクラスでは初めてサーモスタットが装備された。この新機構とビキニカウルにより、メーター読みで120km/h+αの最高速を誇った。
欠点としては、この時期のカワサキ車の多くと同様、外装やカウルの素材が塩化ビニール製であり貧弱なこと。長期間直射日光下にさらす条件下で保管するとヒビ割れが起き、色褪せが著しくなる。外装部品は既に欠品となっているものも多いことから、レストアをする際には注意が必要である。
日本国内では、125ccは高速道路に乗り入れができない排気量として人気が無く、モデルチェンジを受けないまま1990年頃に生産が中止された。その後の後継車種は発売されていない。
[編集] AR50・80 (II・S)
1981年、当時のレーサーKRをイメージしたロードスポーツモデルとして登場。チャンバータイプマフラーの採用で、空冷エンジンながらクラス最強の7.2馬力(80は10馬力)を発生していた。またリアサスペンションにはカワサキ市販車初のユニトラックを採用、120mmのストロークを確保した。50は実測85km/h以上、80は実測100km/hオーバーの実力を持ち、ロングシートの採用で2人乗りも可能であった。
1983年にはモデルチェンジで50・80供に「II」マイナーチェンジとなった。外装はそれまでのZ400FX風のダックテールカウルと三角形状のサイドカバーを変更し、GPZ-F風のサイドカバーからテールカウルまで一体化した流れるようなデザインに変更された。なおAR80IIは、このままの仕様で毎年カラーチェンジをするだけで、1991年カタログ落ちをするまで販売された。
この年の4月生産モデルからAR50IIは自主規制(原付の60km/h速度上限規制)のためキャブレター(16Φ→14Φ)とマフラーの変更、6速→5速ミッションにデチューンされ大幅なパワーダウンを余儀なくされ、速度規制仕様が響いたのか不人気車になってしまった。
その後、販売回復を狙って1984年に再びマイナーチェンジをし、電気リミッターによって速度規制を行う「S」仕様として、キャブレターやマフラー、ミッションも規制前と同じ様に戻り、以前の最高出力が復活。再び人気モデルとなるかと思われたが、他社の水冷エンジン50cc(MBX・NSR・NF50F・RZ50・RG50Γなど)に人気を取られ、空冷のARは「型遅れ」のイメージが拭い切れず、依然不人気車のままであった。
1987年にカワサキは同エンジン搭載車のKS-Iを発売し、翌年これを機にARの国内生産は打ち切られ、在庫のみの販売になる。1991年頃カタログ落ちをし、国内での販売は終了した。
東南アジアではその後も生産販売が続き、タイカワサキよりKSR-IIエンジンを搭載し「MagnumLC」と名を馳せた水冷エンジンのAR80が、1993年頃に国内にも並行輸入され(正規輸入ではない)販売されている。なお現地(タイ・フィリピン等)では排ガス規制が入る21世紀初頭まで空冷AR50・80は生産・販売されており、人気車であったようである。
現在は排ガス規制のため、2サイクルスポーツ車が希少になった事と、カワサキのフルサイズ原付スポーツ車という珍しさも有り、特に初期型50はZ400FX風のスパルタンなスタイルが人気の理由として、中古車両でも程度の良い物については、当時の販売価格を上回る価格で取引される場合もあるようだ。
また80(II)も、空冷AR本来の性能が味わえるとの理由で、普通二輪車免許以上を取得している人のセカンドバイクとしても今でも人気が高い。