カルマン (自動車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルマン社 (Wilhelm Karmann GmbH) はドイツはオスナブリュックの自動車架装会社。
目次 |
[編集] 歴史
1874年にドイツはオスナブリュックに創立していた馬車製作会社 Christian Klagesを1901年8月1日にヴィルヘルム=カルマン(シニア)が買収契約をおこなったところにはじまる。買収時には社員15名と建屋二棟を引き継いだが、社名は当初はまだWagenfabrik Chr. Klagesだった。
1901年時点、馬車(独Pferdekutschen 英語でコーチ)を作っていたカルマン社は次第に自動車の架装を手掛けるようになる。1902年には自動車として最初のボディー製作をおこなった。ハンドメイドだった。1909年製のハンティング用馬車は、現存する馬車の中で当時のカルマン社の高品質を示すものとされる。1920年代には自動車業界での仕事が増し、Adler社、AGA、ビュイック、シトロエン、クライスラー、シボレー、FN、Hansa、Mannesmann、メルセデス、オペルなどがカルマン社にボディー製作を依頼した。
1924年、デトロイトを訪れたヴィルヘルムは米国自動車産業の大量生産での標準化に感銘を受け、従来型工房から大量生産技術への移行をおこない始める。従来の木製ボディーはハーフスチール製そしてオールスチール製のボディーとなり、1930年半ばにはシートメタルのプレス技術へと移行していった。
1930年代初頭のカルマン社ではデザイン史に残る伝説の造形学校「バウハウス」の創始者の一人であり設計者でもある著名な建築家のWalter Gropius(ヴァルター・グロピウス)デザインのボディーをAdler Standard 8 に架装し生産していたこともあった。一方、カルマン社内デザイナーもAdler以外にもフォードやHanomagなどに架装をおこなった。
1932年には従業員は150人となりAdler Primusクーペを日に16台生産するまでになる。1939年には従業員800人で65台を生産した。
第二次世界大戦により工場は壊滅。1949年にVW工場との共同事業でカブリオレを生産し大成功を収める。
イタリア・ギア (現在はフォードに吸収) 社との合作であるVWカルマンギアを世に送り出した。ギア発表までには構想から4年の歳月を要したがこれによりカルマンの名は世界に知られることとなる。
1952年にヴィルヘルム=カルマンの死によりその息子ヴィルヘルムが経営を引き継ぐ。
近年はオープンカー製造のスペシャリストとして有名である。現在はクライスラー・クロスファイア、VWゴルフカブリオ、VWニュービートルカブリオレ、アウディ・A4カブリオレ、メルセデス・ベンツCLKカブリオレ、ルノー・メガーヌCC(日本では「メガーヌ・グラスルーフ・カブリオレ」の名称で販売)、日産・マイクラC+Cなどの製造を手掛けている。また現在においても馬車の製作はおこなわれている。
[編集] 代表的な架装
- 1906年 Möserstraße 44
- 1912年 メルセデス landaulet
- 1927年 Hansa A 8 カブリオレ
- 1932年~1934年 Adler Primus カブリオレ
- 1934年 Adler Trumpf Junior
- 1935年 Adler Trumpf カブリオレ
- 1938年 Hanomag Garant
- Adler Diplomat カブリオレ
- Adler 2.5 Liter カブリオレ
- 1939年 Adler Trumpf Junior 1 E
- Adler 2 liter (2EV)
- Ford Eifel Roadster
- Ford Taunus
- 1949年 Ford Taunus (39年モデルを復活し改良した)
- VW カブリオレ
- Hanomag road tractor
- 1950年 DKW Meisterklasse カブリオレ (アウトウニオンとの歴史のはじまり)
- 1951年~1954年 VW カルマンギア クーペ
- 1951年 Hanomag Partner
- 1952年 Ford Taunus 12 M (最新のモノコックボディーを搭載)
- 1961年 ポルシェ 356 B
- 1961年~1969年 カルマンギアクーペ(VW 1500ベース)ビッグカルマンギアとも呼ばれる
- 1965年~1967年 オペル Diplomat クーペ
- 1965年~1970年 BMW 2000 C/CS
- 1966年 ポルシェ 911 912のボディー生産
- 1968年 300台のAMC JavelinをCKD生産 ドイツのラインにあったAMC(アメリカンモータース)からの依頼でノックダウン生産をおこなう。90%の部品はアセンブル済、ペイント済、組立だけというノックダウン生産の基本形だったという。
- 1968年 トライアンフ 2000 セダン / TR6ロードスター
- 1970年 VW カルマンギア TC 145 (ブラジル製南アメリカ向け)
- 1970年 カルマン GF バギー
- 1974年 VW シロッコ (VW初の前輪駆動)
- 1978年 VW ポルシェ 914
- BMW 635 CSiのボディーワーク
- 1979年 VW ゴルフ カブリオレ
- 1983年 フォード エスコート カブリオレ(ジウジアーロとの共同製作)
- 1984年 フォード Merkur XR 4 Ti (Ford Sierraベース)
- 1988年 ジャガー XJS-V12 カブリオレ
- 1988年 VW コラード
- 1991年 ルノー 19 カブリオレ
- 1993年 キア Sportage
- 1995年 メルセデス SLK
- 1997年 メルセデス CLK カブリオレ
- VW A3 バリアント
- ルノー メガーヌ
- アウディ B3
- 2002年 アウディ A4 カブリオレ
- 2003年 VW ニュービートル カブリオレ
[編集] 海外子会社
- Karmann-Ghia do Brasil Ltda(ブラジル)1960年
- Karmann USA(米国)独自機構のデザインからクラスAサーフェースまで
- A Karmann-Ghia de Portugal(ポルトガル)1992年
- Karmann-Ghia de México(メキシコ)2001年
[編集] キャンピングカー(独Wohnmobilヴォンモビール(略 WoMoヴォモ))
馬車を製作していたカルマン社がキャンピングカーを作成するのは当然の成り行きとも思えるがその歴史はそれほど古くない。1973年、休暇で南アフリカ滞在中だったヴィルヘルム(シニア)が Jurgens Autovilla に出会ったところから始まる。Jurgens Autovilla は南アフリカ、トランスファール、ケンプトンパークで1952年創業のコーチビルダーであるJurgens社(Jurgens Ci)がフォルクスワーゲンバスの当時のモデルT2に架装したキャンピングカー。運転席を残しBピラーから後ろのボディーを取り去り運転席上部に覆いかぶさる大きなバンク部分を含むコーチを新たに架装したもの。これに感銘を受けたヴィルヘルムがJurgensからライセンスを受けて1974年にライセンス生産を開始。カルマンモデルはバンクなしだったがそのほかはインテリアも含めJurgensモデルと同等仕様だった。
1980年、VWマイクロバスはT3(T25)プラットフォームになり車名はカルマンジプシーとなる。バンクベッドがつき、一部装備も時代に合わせてアップデートされたがインテリアの基本的デザインなど従来からのJurgens仕様が引き継がれた。T4プラットフォームでは当初ジプシーであったが、後、カルマンコロラド( Karmann Colorado)となり、現在T5プラットフォームベースでの製作販売が継続されている。
その他にフォルクスワーゲンLTやメルセデスベンツ スプリンターなどをベースとしたカルマン社製キャンピングカーがある。Karmann Davis、Karmann Distance、Karmann Missouri、Karmann Ontario など。
これらカルマン社製キャンピングカーはいわゆる並行輸入の形で日本にも輸入されている。
[編集] リファレンス
- カルマン社 1901-2001 KARMANN Zeitzeichen Signs of Time
- Volkswagen Camper & Commercial June 2006 Issue Twenty Four ページ48-51 FROM JURGENS TO GIPSY