オレンジ計画
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オレンジ計画(おれんじけいかく、オレンジプラン、War Plan Orange)はアメリカ合衆国が1904年に定めた対日国防計画。
[編集] 国防計画
日露戦争により急速に極東で勢力を伸ばしつつあった日本に対し、アメリカは急速に危機感を募らせていた。当時、セオドア・ルーズベルト政権は軍部に対し、近い将来に国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させた。軍部は仮想敵国を色で区分しそれぞれとの戦争作戦を立案、万が一戦争になった場合に備えた。日本は色が「オレンジ」に区分されたことから「オレンジ計画」の名が付けられた。アメリカは自らを青色とし、他にもドイツは黒、イギリスを赤、メキシコを緑色、カリブ海諸国を灰色、中米諸国を紫、フランスを金、カナダをクリムゾンなどと色分けしていたほか、アメリカ国内が共産主義勢力などによる内戦に陥った場合のための国防計画には白色が割り当てられていた。これらの国防計画は第一次大戦後の戦間期である1920年代に整備され改訂を繰り返したが、枢軸国との対立が決定的となった1939年、大西洋と太平洋を越えて戦うための国防計画であるレインボープランが成立したことで撤回された。
当初「仮に日本と戦争になった場合は在比米軍はフィリピンのスビック湾を防衛しながら本国からの救援艦隊を待つ」という案が大統領のセオドア・ルーズベルトに提案されたが、フィリピンの防衛は困難であることからこの案は却下された。また日本軍の侵攻を食い止めるには太平洋に拠点が必要と確認されハワイに海軍基地が建設された。
またアメリカ太平洋艦隊は戦争が起こればカリフォルニア各地の海軍基地で兵力を平時の二倍以上に補充し、パナマ運河への日本軍の侵攻に備えることになっていた。用意が整えば太平洋艦隊は西に進みグアムとフィリピンの救援を行い、北上して日本艦隊との洋上決戦に臨み、勝利した後は日本本土に対する経済封鎖を行う予定であった。
[編集] 関連項目
- レッド計画 - 対イギリス戦争計画
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