オゾンホール
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オゾンホールは、南極や北極上空の成層圏のオゾン層における春期のオゾンの濃度の減少を指す。
南極上空のオゾンが毎年減少することの発見は、ジョセフ・ファーマン、ブライアン・ガードナー、ジョナサン・シャンクリンの1985年の論文 (Farman et al. 1985 "Large losses of total ozone in Antarctica reveals seasonal ClOx/NOx interaction." Nature,315,207-210) によって発表されている。一方で、最初の報告と呼べるものは日本の南極昭和基地の観測データの国際会議での発表といわれている。
その後、ストラスキーらが人工衛星ニンバス7号の解析映像を発表し(Stolarski et al. 1986 "Nimbus 7 satellite mesurements of the spring time Antarctic ozone decrease" Nature,322,808-811)、オゾンホールがマスメディアを通じて一般に認知されるようになった。
オゾンがもっとも減少するのは、成層圏の下層部分であるが、オゾンホールは単位面積あたりのオゾン全量(ドブソン単位によって計測される)によって示させるのが普通である。 春から初夏にかけてのオゾンの減少は、1970年代前半には発生していたことがわかっている。 オゾンホールの特徴として
- 南極上空に顕著にあらわれる。
- 春から初夏にかけてあらわれる。
- 年々規模が拡大する。
があげられる。 2002年には、オゾンホールが2つに分裂したが、これは最高気温のためと言われている。 2003年には、いままでで最大のオゾンホールの発生が確認された。
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[編集] オゾンホールの発生原因
オゾンホールの発生は、フロンやハロンが紫外線によって分解(破壊)され、塩素ラジカルとなって、オゾンを破壊する触媒として働くことによる。この作用は、極成層圏雲と呼ばれる氷の雲の存在によって早められる。極成層圏雲を反応の媒体として、気相-固相の不均一反応が起こり、オゾンが急速に破壊されることが知られている。 極成層圏雲の存在は、冬の間に急激にエアロゾルが増加することによって判明してきた。極成層圏雲は、低温であるほど発生しやすい。南極の場合、極渦と呼ばれる強い偏西風帯が緯度間の熱輸送を阻害することにより、気温が低下しやすく、極成層圏雲が生成しやすい。
北極でもオゾンホールの存在は確認されているが、南極ほど大きくない。北極の場合、北半球に多く存在する陸地が極渦を弱め、南極に比べて気温が低下せず、極成層圏雲が生成されにくいためとされる。
[編集] 紫外線の増大
オゾンは大気中では微量な存在に過ぎないが、太陽から放射される紫外線の大部分を吸収し、地上にほとんど紫外線を到達させないための役割を担っている。 オゾンが減少すると対流圏に紫外線が到達し、成層圏で起きていたオゾン生成の光化学反応が対流圏で生じるようになるが、対流圏でのオゾンは存在期間が短いため、地表へはより多くの紫外線が到達することになる。
[編集] 生物への影響
南極圏でのオゾンホールは、オーストラリアやニュージーランドの南部にまで広がることがある。そのため、この地域での紫外線の増大は、帽子をかぶらないと肌が荒れてしまうほど強烈であるし、人類の健康に無視できない影響を及ぼす。 強度の紫外線は皮膚がんを誘発する要因であるとされている。紫外線の10%の増大は、男性に対しては19%、女性に対しては16%の皮膚がんの増加になるという研究結果もある。 今のところオゾンの減少は数%に過ぎないが、これが世界的規模で広がると事は重大である。200万年前のプランクトンの世界的絶滅は、超新星爆発の影響で紫外線が降り注いだためと考える学者もいる。 これとは別に、地上でのオゾンの増加は、オゾンそのものの強い酸化作用のため人類に有害であることが指摘される。
[編集] モントリオール議定書
1987年のモントリオール議定書 (Montral Protocol)により、オゾン層破壊物質の削減・廃止への道筋が定められた。 この議定書では、5種類のフロンについて1998年までに半減すること、3種類のハロン(フッ化炭素類)を1992年以降に増加させないことが定められている。 日本では1988年に、「オゾン層保護法」が制定され、1989年7月より、フロン等の生産規制が始まっている。 2003年10月現在、この議定書の批准国の数は、184である。