エレクトラコンプレックス
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エレクトラコンプレックス(独語:Elektrakomplex,英語:Electra complex)は、ジークムント・フロイトの創始した精神分析における自我発達の中心概念である。女児の自我発達の場合、このコンプレックスが働くとする。ユングによって「エレクトラコンプレックス」と命名され、それが一般化した。
コンプレックスを日本語訳し、エレクトラ複合と呼ぶこともある。
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[編集] 概論
エレクトラコンプレックスは女児が父親に対して強い独占欲的な愛情を抱き、母親に対して強い対抗意識を燃やす状態を指す。ファザーコンプレックスは父親に対して羨望的な愛情を抱く事であるが、それよりも強いものであるとされる。
エレクトラコンプレックスはエディプスコンプレックスと対になる概念であり、その主張は以下の通りである。
自我発達の途中の段階において、女児の自我は愛情を初めは母親に抱くが、3歳~7歳頃になると女児は自分にペニスがないことを認識し、男児と比べて劣っていると感じ、ペニスがないのは母親も同じであることを知って失望するため、自分もペニスを持ちたいと願い、父親に対して愛情が起こる。同時に、その父親が受け入れている母親の存在に気づき、自己を母親に同一化させる。しかし、自我の発達が更に進展すると、女児の自我は、父親の所有において、母親は競争相手あるいは敵であるという認識を抱く。このようにして、母親と同一化した自我と、母親を敵視する自我の二つの位相が生まれ、自我は葛藤に直面する。
女児が母親に対し、自己に敵対しているのではないかという考えを持つ、というのはエディプスコンプレックスになぞらえた仮説である。しかしこのように仮説を立て、エレクトラ複合を通じて、自我が葛藤を脱するため、かつて母親に同一化していた自我の成分を無意識下に置き、「自我の理想形」すなわち「超自我」とすることで、女児の心理は発達するとされる。ただし、女児の場合は男児の様な去勢に対する不安が無く、そのため超自我の形成もあいまいになってしまうという。
超自我は、母親の規範としての像を維持し「なんじなすべし」または「なんじなすべからず」という定言命法(カント)を発する。これは道徳規範である自我理想、つまり超自我の成立とその発展を通じて、自我は、より高い道徳規範を志向するようになる。
この理論に見られる近親相姦的欲望をユングは、ギリシア悲劇の一つ『エレクトラ』(エレクトラ女王)になぞらえ、エレクトラコンプレックスと呼び始めた(『エレクトラ』は、父王を殺した母に復讐するという物語である。詳細は、オレステイアの項を見よ)。
他方、男児の自我発達の場合は「エディプスコンプレックス」が働くとする。
[編集] コンプレックスの概念
誤解されることもあるが、フロイト自身は「複合(Komplex)」という言葉は最後まで使わなかった。「コンプレックス(複合)」はユングの用語であり、明確で理解し易いので、それ自身がトートロジーのようなフロイトの用語法を、フロイトの弟子達が継承せず、勝手に「エレクトラ複合」と称したのであって、フロイトは弟子達に、最後まで「複合という言い方は間違っている」と批判したが、精神分析では、フロイトの意図に反して「エレクトラ複合」が正式な名称となってしまった。
[編集] 批判
女性の場合、マザーコンプレックスが強いともされ、エレクトラコンプレックスが働く余地がないという指摘がある。男尊女卑ではないかとして「子宮願望」という概念も提唱された。さらに、父娘相姦が多いためフェミニズム運動からも非難された。
また、そもそもエディプスコンプレックスが女性の発想に立って生まれた理論ではなく、男性の発想に立った理論であるにもかかわらず、それを無理に借用しエレクトラコンプレックスという概念を立てただけではないかという批判もある。