エメリヤーエンコ・ヒョードル
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エメリヤーエンコ・ヒョードル | |
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基本情報 | |
あだ名 | ロシアン・ラストエンペラー 氷の皇帝 |
階級 | PRIDEヘビー級 |
誕生日 | 1976年9月28日 |
出身地 | ウクライナ |
現在地 | ロシア |
スタイル | 柔道、サンボ |
戦績 | |
総試合数 | 24(リングス、PRIDE) 06/2/7現在 |
総勝利数 | 23 |
KO勝ち | 6 |
一本勝ち | 10 |
判定勝ち | 7 |
総敗北数 | 1 |
KO負け | 1 |
一本負け | 0 |
判定負け | 0 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 1 |
エメリヤーエンコ・ヒョードル(Фёдор Емельяненко, Fedor Emelianenko、1976年9月28日 - )はプロ総合格闘技選手。ウクライナ出身。2歳の時ロシアに移住。身長182cm、体重106kg。
目次 |
[編集] 経歴
リングスにてヘビー級・無差別級の二冠を持つ実績を引っさげ、PRIDE.21の対セーム・シュルト戦でPRIDEデビュー。その後ヒース・ヒーリングを破りヘビー級王者に挑戦。初代PRIDEヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとのタイトル戦では、後に「氷の拳」と呼ばれる、無表情からの強力なパウンドで圧倒し、判定で勝利。第二代王者となり、PRIDEの頂点を掴む。その後藤田和之、ゲーリー・グッドリッジにも圧勝。現時点で、PRIDE最強の男である。
『PRIDEGP 2004』にも出場し、一回戦でマーク・コールマンを、二回戦でケビン・ランデルマンをあっさりと葬ると、準決勝ラウンドで「ハッスル」の主役ならびに、1992年に開催されたバルセロナオリンピック・柔道銀メダリストの小川直也に54秒タップアウト勝利(腕ひしぎ十字固め)。皇帝の前には、五輪銀メダルの実績があるとはいえ、12年も前のものであり、7年以上前に柔道の一線を退いていた小川では勝負になるはずもなかった。
ヒョードルにとって小川は、自身が10代の頃に目標とした憧れの存在であったが、小川がハッスルポーズのプロレスラーになってからは「下品な踊りで失望した」と語り、試合前に「引導を渡す」と宣言。その言葉通りの結果になる(彼が対戦相手に向けて苦言を呈するのは、異例の事態)。
その後、決勝の対アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦は一度ノーコンテストとなるも、四か月後の再戦でノゲイラを破った。
2005年、まずはかつてリングス時代に出血TKOで唯一の敗戦を喫した因縁の相手、高阪剛を例のごとく強烈なパウンドでTKOで破りリベンジ。そして対ミルコ・クロコップ戦では、前半はミルコの打撃に押される場面もあったが後半は鋭い打撃で押しまくり、タックルからのテイクダウン、さらにはポジショニングでも圧倒した。大晦日、PRIDE男祭りでもズールを瞬殺。
ヒョードル・ミルコ・ノゲイラの三つ巴の時代は終わり、ヒョードルが抜きん出た実力を持ち、それに続く選手は常に入れ替わっている。現在では「誰がヒョードルに勝てるか」というのが主題になっている。
数々の圧倒的な試合運び、そして脅威の勝率と、そのあまりの強さに日本の格闘技ファンは畏敬の念を込めて“ロシアン・ラスト・エンペラー”、あるいは“氷の拳”と呼ぶ。
本人が言うには、「まだまだ私は完全ではない。学習すべきことはたくさんある。それがおもしろくてしょうがない」。
唯一の弱点と言われる要素は、打撃を受けると腫れ易く流血しやすいと言う肌の弱さ。セーム・シュルト戦のように、圧勝したがヒョードルの方が顔が腫れているケースが多い。唯一の敗北がRINGS時代、高阪剛との対戦にて、フック(ヒョードルは肘でのカットを強く主張している)での裂傷・流血によるTKO負けであったこともこれを裏付けている。また、右手親指を何度も骨折しており、そのための試合欠場、試合数の減少も気がかりである。
エメリヤーエンコ・アレキサンダーは実弟。現在ヒョードルに勝てる確率が一番高いのはこのアレキサンダーではないかともいわれる。
ちなみに、絵がとても上手である。[1]
パンチ主体のファイトスタイルであり持ち味だが、本人曰く「ムエタイがベース」であり、自分なりのアレンジが加えられていると言う。
最大の武器であるパウンドだが、試合序盤こそヒットが多い物の、一部の選手との試合では試合終盤殆どのパンチがかわされる光景が目に付く。これは単に下になっている選手の反応が良いのでは無く、ヒョードルにはパウンドを放つ際何らかの癖が存在し、癖に気づいた後は、振り落とされる拳を殆どかわせると言う物である。癖については「現役を続行する以上再び戦う事も有るかも知れない。」と対戦選手の殆どは口を閉ざしている。ミルコ・クロコップは対戦後ヒョードルの癖についての発言はしていないが、他と同様後半パウンドを多くかわしていた事から、癖に気づいたのだとする意見も存在する。ヒョードルと二度対戦した高阪剛も、二度目の対戦前のインタビューで「よく見るとですね、穴がたくさんあるんですよね」と述べている。
パンチとパウンドによる勝ちが多いが、寝技での決定力も抜群である。技に入ってからタップを奪うまでの速さはPRIDE参加選手中随一。
過去二回のGP優勝の他に、タイトル防衛等も果たしているが、過去一度の優勝実績を誇るブラジリアン・トップチーム等の練習機材が充実しているにも関わらず、戦績で上回るヒョードル側の練習機材は古典的であり、質素である。 この事については独自の練習環境、またはお国柄等の理由で片付けられるが、金銭のルートが清潔に保たれているかは聊か疑問である。
[編集] 名前について
姓がエメリヤーエンコで名がヒョードルであるため通常であれば「ヒョードル・エメリヤーエンコ」となるはずであるが、ロシアではパスポート等公式な書面では「姓・名・父称」の順で表記するため、そのまま「エメリヤーエンコ・ヒョードル」となってしまったと本人は述べている。
また、正確な発音に近い表記は「フョードル・エメリヤーネンコ(エメリヤネンコ)」である(フョードルは文豪ドストエフスキーと同じ名前)。
[編集] 主なライバル
[編集] 来歴
幼少時代からサンボ、柔道を始め、1996年柔道ロシア選手権優勝、1997年サンボロシア選手権優勝、1997年サンボヨーロッパ選手権優勝の実績を残す。
- ヴォルク・ハンにスカウトされ、RINGS RUSIA(現ロシアン・トップチーム)に加入。2000年よりRINGSで活躍し、その年に行われた『KOK2000』で実力者ヒカルド・アローナを破り注目を集める。
翌2001年には初代リングス世界ヘビー級王者に就く。さらに翌2002年にはリングス世界無差別級タイトルも奪取し、リングス二冠に輝く。
- 2002年6月、『PRIDE.21』でPRIDEシリーズ初出場。
セーム・シュルト、ヒース・ヒーリングなど、当時のビッグ・ネームを撃破し、『PRIDE.25』において初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦。 抜群の寝技/関節技の技術と脅威のスタミナを持ち合わせたノゲイラを終始攻め続け、結果、判定で破り第二代PRIDEヘビー級王者に輝く。
2003年末に、金銭面のトラブルで、ロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍。
一時は骨折で戦線離脱をするものの、王者となった後でも更なる進化を続ける。
両親はウクライナ人。そのため、ウクライナとの二重国籍であり、ウクライナ国籍で出場していた時期もあったが、現在は現住地のあるロシア国籍での出場を選択している。父親の転勤でロシア・ウクライナ両国(当時は旧ソ連)を跨って生活していたヒョードル本人にとっては、あまり国籍にこだわりはなく、どちらでもいいという考え方のようである。
入場曲はロシア国歌→Enae Volare Mezzo(Era)である。これは「ラスト・エンペラー」に相応しい主催者側による演出であると思われる。
[編集] 戦績
War Record ○=勝 ●=敗 △=引き分け
- PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-'06.12.31
- PRIDEヘビー級タイトルマッチ
- VS マーク・ハント
- PRIDE.32 "THE REAL DEAL"'06.10.21
- ○ VS ● マーク・コールマン
- PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- '05.12.31
- ○ VS ● ズール
- 1R 0'26" KO
- PRIDE GP 2005決勝戦 '05.08.28
- PRIDEヘビー級タイトルマッチ
- ○ VS ● ミルコ・クロコップ
- 3R 判定 3-0 (2度目の防衛に成功)
- PRIDE 武士道 其の六 '05.04.03
- ○ VS ● 高阪剛
- 1R TKO (1R 終了時 流血により)
- PRIDE 男祭り 2004 SADAME '04.12.31
- ○ VS ● アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
- 3R 判定 3-0
- PRIDE GP 2004 Final Round '04.08.15
- - VS - アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
- 1R 3'52" 無効試合
- PRIDE GP 2004 Final Round '04.08.15
- ○ VS ● 小川直也
- 1R 0'54" 腕ひしぎ十字固め
- PRIDE GP 2004 2nd Round '04.06.20
- ○ VS ● ケビン・ランデルマン
- 1R 1'33" アームロック
- PRIDE GP 2004 開幕戦 '04.04.25
- ○ VS ● マーク・コールマン
- 1R 2'11" 腕ひしぎ十字固め
- PRIDE GP 2003 開幕戦 '03.08.10
- ○ VS ● ゲーリー・グッドリッジ
- 1R 1'09" TKO
- PRIDE.26 '03.06.08
- ○ VS ● 藤田和之
- 1R 4'17" 裸絞め
- BUSHIDO-RINGS '03.04.05
- ○ VS ● エギリウス・ヴァラビーチェス
- 2R チキンウィング・アームロック
- PRIDE.25 '03.03.16
- ○ VS ● アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
- 3R 判定 3-0
- PRIDE.23 '02.11.24
- ○ VS ● ヒース・ヒーリング
- 1R 終了 TKO
- PRIDE.21 '02.06.23
- ○ VS ● セーム・シュルト
- 3R 判定 3-0
- RINGS '02.02.15
- ○ VS ● クリストファー・ヘイズマン
- 1R 2'50" TKO(ポイントアウト)
- RINGS '01.12.21
- ○ VS ● リー・ハスデル
- 1R 4'10" ギロチンチョーク
- RINGS '01.10.20
- ○ VS ● 柳澤龍志
- 3R 判定 3-0
- RINGS '01.08.11
- ○ VS ● ボビー・ホフマン
- 不戦勝
- RINGS '01.08.11
- ○ VS ● レナート・ババル
- 2R 判定 3-0
- RINGS '01.04.20
- ○ VS ● ケリー・ショール
- 1R 1'47" 腕ひしぎ十字固め
- RINGS '01.04.06
- ○ VS ● ミハイル・アボストロフ
- 1R 1'03" チョークスリーパー
- RINGS '00.12.22
- ● VS ○ 高阪剛
- 1R 0'17" TKO(ドクターストップ)
- RINGS '00.12.22
- ○ VS ● ヒカルド・アローナ
- 2R+延長1R 判定 3-0
- RINGS '00.09.05
- ○ VS ● 高田浩也
- 1R 0'12" KO(パンチ)
[編集] 獲得タイトル
- アマチュア
- 1996年柔道ロシア選手権優勝
- 1997年サンボロシア選手権優勝
- 1997年サンボヨーロッパ選手権優勝
- プロ総合格闘技
- RINGS世界ヘビー級王座(初代王者)
- RINGS世界無差別級王座
- PRIDEヘビー級王座(第二代王者)
- PRIDE GP 2004 優勝