エホバの証人とホロコースト
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[編集] 概要
ドイツのエホバの証人は1933年から1945年まで迫害されていた。その時代、彼らは国際聖書研究者とかエルンステ・ビーベルフォルシェル(「誠心聖書研究者」の意)という蔑称で呼ばれていた。エホバの証人は「ヒトラー万歳」と腕を上げることを拒み、鉤十字章の旗を掲揚しようとせず、ナチスの選挙や国民投票で投票しようとしなかった。ドイツ労働戦線に参加せず、冬季救済事業に献金しようとしなかった。更に、軍隊の徴兵を拒んだため、ホロコーストの間強制収容所に留置されたのである。もし、彼らがエホバの証人としての信仰と会員資格を取り消し、彼らに接触した信者を非難することを約束し、軍務に同意する宣言書に署名さえすれば、彼らは自由にされることのなっていた。(*原文)それにもかかわらず、(ナチドイツ政権下の2万5千人の成員のうち)およそ1万人のエホバの証人が、エホバの証人であることをはっきり示すパープル・トライアングル(紫の三角章)を強制的に付けられ、強制収容所に送られた。最終的に監禁された1万人のエホバの証人のうち1200人がナチの虐待により非業の死を遂げた。エホバの証人は全員失職し、そのほとんどがが正式な監獄に拘留され、身体的な虐待を受けた。このようにエホバの証人とホロコースト(エホバのしょうにんとホロコースト)には密接な関わりがあるのである。
1920年代に、エホバの証人の出版物はカトリック教会やプロテスタントを「軍国主義と戦争の擁護者」として非難した為、ドイツの民族至上主義的な超国家主義者だけでなくカトリック教会やプロテスタントがエホバの証人を、政治転覆運動としてユダヤ人に関連付けて告発した。聖書研究者は危険分子、ボルシェビキ、"ユダヤ人のくず"という烙印を押された。ディートリヒ・エッカルトのようなナチ信奉者は、エホバの証人がユダヤ人とフリーメーソンから資金が与えられていると攻撃した。ミュンヘンの枢機卿ミヒャエル・フォン・ファウルハーバーも、彼らは「アメリカ人と共産主義者の活動」に影響された「間違った宗教」を実践するものだと非難した。その返答として、(今日の「目ざめよ!」誌の前身)「黄金時代」誌、1930年4月15日号のドイツ語版はこう陳述した。「われわれは侮辱としてこの誤った告発を考慮する必要はない。むしろ、ユダヤ人は名ばかりのクリスチャンと同じく価値ある人間なのだと確信している。われわれは、我々の業を福音のためではなくユダヤ人のためであるとして非難しているゆえに、教会のタブロイド版新聞を退ける。」 スイスの神学者カール・バルトは後にこう書いている。「エホバの証人が共産主義者と結託しているという非難は、不本意の、もしくは故意の誤解による以外考えられない。」
ヒトラー政権の明確な敵意があったにもかかわらず、エホバの証人は1933年6月25日、ドイツ、ベルリンで大会を組織した。7,000人もの人が集まった。証人たちは自分たちの態度を公に明確化した。「我々の組織はいかなる意味においても政治的なものではない。我々はただエホバ神の言葉を人々に教え、妨害なしにそうすることを主張する」。1934年、エホバの証人は満場一致で 「多くの国の人民を搾取し、虐げる手段として大企業を作り上げ、運営してきたのは、英米帝国の営利主義的な考えを持つユダヤ人である」と信じており、「政治的な事柄には全く関心がなく、むしろ王キリストの下にある神の王国に一身をささげている」との決議文をヒトラーに送った。1935年4月1日に、ドイツ帝国とプロイセンの内務大臣はエホバの証人の国内での全ての宗教活動と出版活動を禁止したため、翌年、世界中のエホバの証人がナチ政権を強く非難する決議文を送った。
同じ頃、このグループは米国や他の多くの国々で、同様の理由で迫害を受けた。主に、軍隊で働くのを拒み、戦争に協力するのを拒んだという理由である。ナチのシンパとして非難されたケースもある。同じ頃カナダでは、エホバの証人は政治的な反対者や日系人や中国系の人々と共に強制収容所に抑留されていた。米国では米国連邦裁判所が一連の型となり、エホバの証人に兵役や忠誠の誓いの朗読を免除する権利を与える、憲法修正第一条を発布した。
[編集] ものみの塔協会に対する批判と反論
- 「ベルリン大会宣言」においてエホバの証人がヒトラーに取り入ろうとした。 → 当時のナチドイツはユダヤ人を含む抑圧的な大事業家に対して断固として反対を宣言するとともに、宗教が国家政治に悪影響を与えることにも反対していた。当時のエホバの証人も宗教が政治活動に携わるべきではないと考えていた。(ヨハネ17:16)
- 米国でラザフォードたちが投獄されたのは扇動罪だった。ものみの塔協会がヒトラーに送った手紙の中で「反ドイツ宣伝活動に参加しなかった為投獄された」と嘘の記述をしているのは、当時のものみの塔協会が、なりふり構わずヒトラーに取り入ろうとした証拠だ → エホバの証人の表面上の罪状は1917年6月15日成立の「スパイ法」違反だった。事実1918年5月4日、米国上院議長は、米国司法長官から「国際聖書研究者協会(エホバの証人)は、純粋に宗教的な動機を装っているが、その本部はドイツ当局の手先となっている」という手紙を受け取った。
- ものみの塔協会は反ユダヤ人の人種差別を支持した → 「営利主義的な考えを持つ」ユダヤ人を非難しただけで、全てのユダヤ人を非難したわけではない。当時エホバの証人は「ユダヤ人が啓示により聖なる地に戻る」という信仰を抱いていた。(『ホロコースト大事典』118ページ) 「文字通りのユダヤ人が聖地に戻る」との見解は現在は調整されている。
- ベルリン大会では会場にナチス国旗の「鉤十字」が掲げられた。 → 大会の前日に、親衛隊員、突撃隊員その他の人々と共に大勢の若者が、近づいた夏至を祝った。ゆえに、大会会場に到着した人たちを迎えたのは、鉤十字の旗で飾られた建物の光景だった。今日でもエホバの証人は集会や大会のために公共の施設を借りる場合、国旗を取り外したりはしない。
- ベルリン大会ではドイツ国歌のメロディーが歌われた。 → ベルリン大会はエホバの証人の歌の本の 「シオンの栄えある希望」 (Zions herrliche Hoffnung) という題の64番の歌で始められた。その歌詞はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1797年に作った曲に合わせて作られたもので、64番の歌は1905年以来、エホバの証人の歌の本に載せられていた。1922年、ドイツ政府がハイドンのメロディーにホフマン・フォン・ファレルスレーベン作の歌詞をつけて国歌にした。そのため、ハイドン作曲のメロディーが国歌のメロディーと同じとなった。今日、その曲はエホバの証人の歌の本には載っていない。
→ この点に関して、エホバの証人の反対者からは、以下のような再反証がなされている:
「64番の歌は 1905年以来エホバの証人の歌の本に載せられていた」 と言うが、それは英語版歌集の話である。ドイツ語版の歌集にその歌が初掲載されたのは1928年のことであり、メロディーがドイツ国歌になった 1922年より後のことである。
再反証記事 (ドイツ語)
図版(1905年版ドイツ語歌集) - Zions herrliche Hoffnung は載っていない
図版(1923年版ドイツ語歌集) - 同上
図版(1928年版ドイツ語歌集) - Zions herrliche Hoffnung が掲載された
[編集] 外部リンク
- ホロコースト学習センター ―エホバの証人: 迫害(英語)
- ホロコースト―エホバの証人(英語)
- ものみの塔協会の記事
- ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係
- 「わたしにとってわからなかったこと-その一」-ラハムより
[編集] 参考文献
- 『キリスト教の二〇〇〇年』下巻(ポール・ジョンソン著、別宮貞徳訳、共同通信社)ISBN 4764104199 337ページ
- 『ホロコースト全史』(マイケル・ベーレンバウム著、石川順子・高橋宏訳、創元社)ISBN 4422300326
- 『ピンク・トライアングルの男たち―ナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記録 1939-1945』(ハインツ・ヘーガー 著、伊藤 明子 訳)ISBN 4768477755
- 『ホロコースト大事典』(ウォルター・ラカー 著、井上茂子 他訳)ISBN 4760124136 117-121ページ
- 『議論された過去―ナチズムに関する事実と論争』(ヴォルフガング・ヴィッパーマン著、林功三・柴田敬二 訳、未来社)ISBN 4624111915 205-209ページ
- 『アウシュヴィッツ収容所』(ルドルフ・ヘス著、片岡啓治訳、講談社)ISBN 4061593900 273ページ
- 『ライオンに立ち向かって―ナチ占領下で良心に従って生きた少女の記録』(シモーヌ・アルノルド・リープスター著、麻布プロデュース)ISBN 4900710024
- 『恐怖の中で見つけた希望―ユダヤ人青年はナチスの嵐を生き抜いた』(マックス・リープスター著、麻布プロデュース)ISBN 4900710040
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