エチオピア・エリトリア国境紛争
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エチオピア・エリトリア国境紛争(-こっきょうふんそう)とは、アフリカのエチオピア、エリトリア間で行われていた戦争のことである。紛争とあるが、互いの首都を空爆しあうなど戦争と表現しても良いほど事態はエスカレートしていた。両国とも経済規模が小さい貧国であり、身の丈に合わない戦争の継続が地域の破綻を招くとして、開戦以降、国連や当時のアフリカ統一機構などが積極的に仲介に乗り出している。
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以前は、連邦を組むなど紛争とは無縁の地域であったが、1993年のエリトリア独立以降、エリトリアの独自通貨発行や内陸国となったエチオピアによるエリトリア国内の港湾の使用料の交渉が難航したことなどで両国の関係が次第に険悪化(背景には、エリトリア側の独立による民族意識の高揚と、エチオピア側が影響力(通貨の流通や港湾の使用)の行使を維持させたい思惑があった)。やがて国境沿いにある都市バドメ周辺の所有をめぐり交戦状態に陥った。当時、バドメ周辺に金鉱脈が発見され、その所有をめぐる紛争が原因というニュースも流れたが定かではない。
[編集] 経緯
- 1997年7月 エチオピアが国境の都市、バドメに行政組織を設立。地域住民と対立する。
- 1998年5月~エリトリアの武装勢力がバドメに侵入、占拠。以後、バドメをめぐり武力衝突の発生。両国がそれぞれの国人を追放したことから、多数の難民が発生した。
- 2000年6月 アフリカ統一機構の調停により休戦合意が成立。
- 2000年7月 国連安全保障理事会のPKO、エチオピア・エリトリア派遣団(UNMEE)の設置を決定。
- 2000年12月 両国間の包括的和平合意成立
- 2002年4月 国境委員会により国境線が確定