エクアドルの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エクアドルの歴史について記す。
目次 |
[編集] インカ帝国からスペイン植民地へ
エクアドルはかつてはインカ帝国の一部であり、キトはクスコにつぐインカ第2の都市であった。
[編集] 独立運動
18世紀の終わりにクリオーリョによる「愛国党」が設立され、独立運動が開始された。シモン・ボリーバルの副官スクレがスペイン軍を破り1830年に大コロンビアの一部となったが1830年に分離独立した。
[編集] 独立後
- 1860年のモレノ政権は15年間、独裁を行ったがその間モレノに近い山岳部の大土地所有者と海岸部の自由主義者の対立は進行した。
- 1895年には自由主義者アルファロが大統領に就任した。
- 1925年山岳部の勢力はグアヤキルの銀行家を排除して、海岸部勢力取って代わり軍政がしかれた。
- 1941年にペルーが侵攻し、アマゾン(オリエンテ地方)の3分の2を奪った。これにより、エクアドルでは地域的対立は解消され、団結が産まれた。
[編集] 軍事政権
- 1944年、ベラスコ・イバラ政権が誕生。28年の長期政権となったが、地主、学生の抵抗を受け1972年には失脚。アルゼンチンに亡命した。
- この年、政権を握った軍部はララ将軍のもとで軍事評議会による民族主義的路線で政権運営をしたが、対米悪化を招き、土地改革も失敗した。
- 1975年の反対派クーデターはねじ伏せたが、翌年1976年には海軍中将ブルバーノに政権を譲った。
[編集] 民政復帰
- ブルバーノ政権は民政移管を約束し、1978年には新憲法草案が国民投票で可決され平和裏に民政移管に成功した。
- 1979年にはキリスト教民主主義の人民結集党のロルドス大統領が誕生。しかし1981年にロルドスは急死した。ウルタド副大統領が大統領に昇格した。
- 1984年にはフェブレスが大統領にに選ばれた。この政権は親米路線をとった。
- 1987年大地震が発生。石油パイプラインが破壊されるなど激甚な被害を受け、対外債務利子支払い停止の緊急措置を発動した。
- 1988年ボルハ大統領。財政赤字の削減、インフレ抑制に尽力するが国民の不満によって退陣した。
- 1991年埋蔵石油をめぐりペルーと国境紛争がおきていたが、この年、両国は非武装地域の設置で合意した。
- 1992年にはデュラン・バジェンが大統領に就任した。