ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ
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ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ(登録名 ウィル、Will Robson Emilio Andrade, 1973年12月15日-)は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはFW。
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[編集] 経歴
1998年に来日、大分トリニータで活躍後、2001年、コンサドーレ札幌に移籍。類まれな得点感覚の鋭さで得点王に輝き、チームのJ1残留に大きく貢献する。
エースストライカーとして活躍する一方で、気性の荒さ、体重をコントロールできない自己管理の甘さ、自己中心的なプレイなどもしばしば覗かせた。しかし、むしろそれらを愛すべき点として大分のサポーターが名付けた「俺王」の異名が、のちに広まった。
2002年に横浜F・マリノスに移籍し、エースストライカーとして活躍するも、ナビスコカップでのジェフユナイテッド市原戦で立石智紀、中西永輔を故意に負傷させたり、練習法などを巡ってラザロニ監督(当時)と対立するなど、トラブルが絶えなかった。そして極めつけはシーズン終盤にジュビロ磐田戦で同僚の奥大介に試合中にパスを出さなかったことに腹を立て、奥を後ろから蹴るなど暴行を働いた。この一件が原因となり、横浜を解雇された。
その後、2003年には再び札幌に移籍するが怪我に悩まされ、リハビリ中に飲食店で暴力事件を起こした。当初は罰金などの処分にとどまった。しかし、その処分は甘すぎると地元紙の北海道新聞がウィルと札幌フロントの処分内容を激しく糾弾するなど波紋が広がった。その後は大分に戻るも2003年限りで退団した。その後はCリーグでプレーした。
[編集] 所属チーム
- サンパウロFCジュニアユース(ブラジル)
- サンベント(ブラジル)
- アトレチコ・パラナエンセ(ブラジル)
- ヘベロン・コメルシアル(ブラジル)
- ヘイモ(ブラジル)
- サンベント(ブラジル)
- ウニオン・バルバレンセ(ブラジル)
- 1998年-2000年 大分トリニティ/大分トリニータ
- 2001年 コンサドーレ札幌
- 2002年 横浜F・マリノス
- 2003年 コンサドーレ札幌
- 2003年6月~末 大分トリニータ
- 2004年 武漢黄鶴楼(中国)
[編集] タイトル
[編集] 戦歴
- J1通算 66試合40得点
- J2通算 63試合44得点
- JFL通算 26試合9得点
[編集] 外部リンク
- WEBサッカーマガジン - インタビュー
カテゴリ: ブラジルのサッカー選手 | アトレチコ・パラナエンセの選手 | 大分トリニータの選手 | コンサドーレ札幌の選手 | 横浜F・マリノスの選手 | 1973年生