アイルランドの議会
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アイルランドの議会(National Parliament)はアイルランド共和国における国会をさし、アイルランド語でウラクタス (Oireachtas) と呼ばれる。ウラクタスは二院制をとっており、上院 (シャナード・エレン, Seanad Éireann「アイルランド元老院」の意) と下院 (ドール・エレン Dáil Éireann) で構成され、直接選挙で選出される下院により強い権限が与えられている。両院ともに現在はダブリンの18世紀に建設された公爵の宮殿であるレンスター・ハウスに議場が設けられている。
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[編集] 構成
下院のドール・エレンは国民の普通選挙により160人の議員が選出され任期は5年となっている。首相 (ティーシャク, Taoiseach) には下院の解散権が与えられており、優先順位記述投票に基づく比例代表制により票が割り振られる。上院議員の定数は60人で、首相による任命、間接選挙による選出、大学教授などで構成されている。
[編集] 役割
法律の成立には基本的に両院の賛成を必要とし、その後大統領のサインにより執行される。しかし多くの場合では大統領は法案を拒否せず、上院も下院の決定に反する決議をおこなうことはない。つまり立法機構において最大の権力を有しているのは下院のドール・エレンである。法律の条文は"以下の法はウラクタスにより成立し・・・"で始まる。
[編集] 権限
ウラクタスに与えられている権限を以下にしめす。
- 立法および予算の承認
- 条例の作成
- 憲法改正の提案。決定は国民投票にゆだねられる
- 軍隊の動員
- 外交上の取り決めを国内法として施行させる
- 特定の法律を域外にも適用させる
- 国家の非常事態にあると判断される時に必要な法を成立させる
[編集] 制約
- 法は憲法に矛盾してはならない
- 紛争時にはEU法が国内法と同様に扱われる
- 法の適用は設立よりも過去には遡及しない
- いかなる犯罪の処罰にも死刑はもちいない
- 憲法修正第3条により、ウラクタスには北アイルランドに関する立法権を有さない
[編集] 歴史
ウラクタス (oireachtas) という言葉は古代のアイルランド語に由来しており、これまでのアイルランド史では1922年から1937年に存在したアイルランド自由国と現在のアイルランド共和国の議会について用いられている。
アイルランドにおいて初めて存在した近代的な議会は1801年まで存在したアイルランド議会である。この議会はアイルランド全域を統治したが、その権威はイングランド、後にはイギリス議会に服従していた。この議会はアイルランド王 (イングランド王が兼ねる) と貴族院、庶民院で構成されていた。1800年にアイルランド議会は連合法 (1800年)を成立させ自身を解散した。この法律によりアイルランドはイギリスとの連合王国を形成する事になったが、この決定には多額の賄賂が用いられた。
次に成立した議会は1919年のアイルランド議会である。これはアイルランド民族主義者により設立された一院制の議会であり、ドール・エレン (Dáil Éireann) と呼ばれた。第一回議会では形式的に全島の統治を確認した。この議会と平行してイギリス政府はアイルランド自治法を成立させ、南部アイルランド議会を設立したが、アイルランド人政治家によりボイコットされた。この議会はグレートブリテンおよびアイルランド国王と下院、上院で構成されていた。1922年にアイルランド自由国憲法が制定されるとこの議会は正式に解散された。自由国では二院制がとられたが、上院については1935年に一旦廃止された。その後1937年にアイルランド共和国憲法が制定され現在の立法機構が設立された。
[編集] 北アイルランドの統治問題
制定当時の現行憲法では第3条において"この憲法に基づき設けられる議会と政府の権限はアイルランド全島に及ぶ"と述べられていた。独立戦争に活躍し、後に大統領となったイーモン・デ・ヴァレラは北アイルランド代表の議席を議会に設ける事に反対していた。これは課税なき代表であり、法の精神に違すると考えた為である。これらの議論に関わらず上院議員の中には首相により北アイルランドから任命された者が存在した。
最近シン・フェイン党は北アイルランド議会、イギリス下院、欧州議会の議員にはアイルランド下院へ参加する権利があると主張している。2005年にアイルランド首相のバーティ・アハーンは北アイルランド議会議員のアイルランド議会下院での演説を認めるべきだと述べた。この首相の考えに対し、フィン・ゲール (統一アイルランド党) 、労働党、緑の党など多くの政党が反対している。アイルランドにおけるメディアでは賛否が分かれている。