醇親王 (第2代)
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愛新覚羅 載灃(あいしんかくら さいほう、1883年2月12日 - 1951年2月3日)は、清の皇族・第2代醇親王である。醇親王奕譞の3男で、光緒帝の弟、宣統帝溥儀とその弟・溥傑の実父に当たる。
父の死後、世襲を許されて醇親王を襲封した。父に続いて西太后の信任を受け、義和団事件後にはドイツ公使殺害に対する謝罪使としてドイツへ派遣される。立憲君主制の創立に携わり、兄・光緒帝の晩年には摂政王となった。1908年に溥儀が即位すると監国摂政王に就任して軍国の権限を掌握し、兄・光緒帝の戊戌変法を潰したとし、袁世凱を失脚させた。また、軍機処にかわる内閣を組閣したが、辛亥革命が始まると隆裕皇太后の命令により袁世凱に全権を譲らされた。清朝滅亡後は、清朝皇帝の尊号を保持して紫禁城に住む事を許された溥儀の後見役となった。だが、溥儀が日本の関東軍によって満州国皇帝に担ぎ出された時には前途を危ぶんでこれに反対し、そのまま北京市内の邸宅に移住して満州国とは一線を画した。このため、第二次世界大戦終結後も戦争犯罪に問われる事も無く、中国共産党政権下でも引退生活者としての生活が保障されて北京でその生涯を閉じている。
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