軍機処
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
軍機処(ぐんきしょ)は中国清代の政治制度。皇帝の最高諮問機関である。
軍機処は初め軍機房と呼ばれ、康熙帝の1729年のジュンガル遠征の時に軍事における決定を迅速にするために設けられた。これを雍正帝が拡大し、軍事だけではなく政務全てを見るようになった。それまでの政務の最高機関であった内閣は定員が増え、仕組みが複雑になりすぎていたため皇帝独裁を狙う雍正帝はこれを嫌い、少数人数により迅速に決定が出来る軍機処を使ったのである。
軍機処は内閣大学士や各部の尚書から選ばれた3人から6人ほどの軍機大臣が選ばれ、最高責任者とされた。制度で定められていたわけではなかったが、漢族・満族がほぼ同数選ばれていた。
清も末期になり、国内が乱れてくると役職が高い人物よりも李鴻章のような背後に軍隊を背負った軍閥の長の方が権勢を振るうようになり、軍機処大臣は有名無実化した。