紀伊田原駅
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紀伊田原駅(きいたはらえき)は、和歌山県東牟婁郡串本町田原219番地にある西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の駅である。
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[編集] 駅構造
- のりば
- 1番線 - 和歌山方面
- 2番線 - 新宮方面
- 3番線 - 新宮方面(1日1本普通列車が発着するのみである)
[編集] 駅周辺
この周辺では熊野灘のぎりぎりまでに山が迫るという地形が広がっているがこの駅のある田原集落は田原川がその山を削った田原川河口のわずかばかりの平地に開けている。田原集落は古くからの漁港の集落であり、この駅は田原集落の西の端、あと少しで山という場所に位置していて海まではすこしだが離れている。田原の集落には町の役場の出張所や郵便局、小学校に中学校などがある。なおこのあたりのこのあたりの海岸では冬季の早朝に「田原の海霧」とよばれる現象が発生する。それは放射冷却により田原川上流にたまった霧が川を下りながらその量を増して行き暖かい海に出たところで濃くなって表出することによって生まれるもので海面に霧が張って海が白く見えるのである。
- 串本町役場田原出張所(国民宿舎あらふねに併設)
- 串本警察署田原駐在所
- 田原郵便局
- 串本町立田原小学校
- 串本町立田原中学校
- 木の葉神社
- 田原海水浴場
- 荒船キャンプランド
- 森戸崎
- 佐部温泉
[編集] 歴史
この駅は昭和11年12月、国鉄紀勢中線の下里駅から串本駅までの開通と共に紀伊田原駅(きいたはらえき)として開業したが、その約4年後の昭和15年には江住駅から串本駅・新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開業により紀伊木本駅から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされたため国鉄紀勢西線の駅となった。その後当駅は昭和34年、今の紀勢本線が全通し亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となったのを受け国鉄紀勢本線の駅となり、さらに国鉄の分割民営化を経て現在に至っている。
- 1936年(昭和11年)12月11日 - 国鉄紀勢中線の下里駅から串本駅までの延伸にともない紀伊田原駅(きいたはらえき)として開業する。
- 1940年(昭和15年)8月8日 - 紀勢西線の江住駅から串本駅・新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通により紀伊木本駅から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされたため国鉄紀勢西線の駅となる。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 三木里駅・新鹿駅間の開通をもって現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線の駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により当駅も西日本旅客鉄道紀勢本線の駅となる。
[編集] その他
- 駅名の読みはきいたはらとされているが地名の田原はたわらと読むのが正しいとされている。附近を通っている国道42号のキロポストの表記は地名の正式な読みにしたがってTawara(たわら)とされている。
- 以前は国道42号から紀伊田原駅への案内表示があったのだが数年前に台風により吹き飛ばされた模様でそれ以来案内表示は設置されていない。