紀伊佐野駅
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紀伊佐野駅(きいさのえき)は、和歌山県新宮市佐野3-9-2にある西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の駅である。
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[編集] 駅構造
- のりば
- 1番線 - 和歌山方面
- 2番線 - 新宮方面
- 木造駅舎が残っておりその外壁には駅近くにある和歌山県立新宮商業高等学校の美術部による派手な壁画がえがかれている。駅舎の内部には待合所が二部屋ありその大きいほうは内壁が水色のペンキで塗りつぶされており出札口も残っているがそれもシャッターを閉めてその上に板をかぶせた状態でそのままペンキで塗り固められてしまっている。小さいほうは大きい待合室の角に出入り口があり内部は狭い中に机やいすがたくさんおいてある状態で大変窮屈である。駅から外に出て駅舎を見ると一番右側にこの狭い待合所があることになる。
- この駅は無人駅であり駅員はいないのだが駅舎の広い待合所の改札口のあったところに簡易な自動券売機が一台設置されており近距離の乗車券を買うことが出来る。
[編集] 駅周辺
当駅と三輪崎駅の間の海岸には新宮港がある。また当駅から南に少し行った線路沿いには、かつてこの駅から専用線の出ていた巴川製紙の工場があったが、現在は大型ショッピングセンター(コスモ石油・オートバックス・ユニクロ・ケーズデンキ・マクドナルドなどの店舗や映画館なども併設)であるスーパーセンターオークワ南紀店が出店している。三輪崎駅附近から当駅の附近までは市街地が続いており、紀勢本線線路の海側には家々が数多く存在している。
- 新宮佐野郵便局
- 和歌山県立新宮商業高等学校
- 佐野王子
- 佐野川
- 国道42号
[編集] 歴史
この駅は大正元年、新宮鉄道が三輪崎駅から勝浦駅(現在の紀伊勝浦駅)までを開通させるのと同時に佐野村駅として開業した。昭和9年には新宮鉄道が買収により国有化となり、新宮駅から紀伊勝浦駅までが紀勢中線となる。昭和15年には紀勢西線の江住駅から串本駅・新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通により紀伊木本駅から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされたため国鉄紀勢西線の駅となった。その後当駅は昭和34年、今の紀勢本線が全通し亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となったのを受け国鉄紀勢本線の駅となり、さらに国鉄の分割民営化を経て現在に至っている。
- 1912年(大正元年)12月4日 - 新宮鉄道の三輪崎駅から勝浦駅(現在の紀伊勝浦駅)までの開通と共に佐野村駅として開業する。
- 1927年(昭和2年)4月17日 - 線路を増設し交換可能駅(列車同士の行き違いが出来る駅)とする。
- 1934年(昭和9年)7月1日 - 新宮鉄道の国有化により新宮駅から紀伊勝浦駅までが新しく国鉄紀勢中線とされ当駅も国鉄紀勢中線の駅となり、名称も秋津野駅となった。
- 1940年(昭和15年)8月8日 - 紀勢西線の江住駅から串本駅・新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通により紀伊木本駅から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされたため国鉄紀勢西線の駅となる。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 現在の紀伊佐野駅(きいさのえき)に改称となる。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 三木里駅・新鹿駅間の開通を持って現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線の駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により当駅も西日本旅客鉄道紀勢本線の駅となる。