競輪選手
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競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技の競輪において、賞金を獲得するプロの選手である。
日本のプロスポーツとしては最高の4000名弱程度(2005年7月末現在で3740人)の選手が存在し、現在は選手の実力に応じてS級とA級の二層(下述)に分かれており、トップレベルの選手になると年間に1億円以上の賞金を稼いでいる。
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[編集] 競輪選手になるには
競輪選手になるためには、日本競輪学校に入学し、競輪選手資格試験に合格する必要がある。なお形式上は日本競輪学校に入学する必要は無いが、入学せず資格試験に合格することは非常に厳しいと考えられる。そして資格試験合格後に選手登録されて、晴れて競輪選手となれる。
選手資格取得などについては日本競輪学校の項目に詳しい。
[編集] 競輪選手の生活
まず、葉書にて日本自転車振興会より斡旋通知(各競輪場からのレース参加要請)を受ける。その時点で「参加」「不参加」の意思表示をしたのち、参加の場合は斡旋された競輪場へ前検日(開催前日)に赴く。その日のうちに身体・車体など各種検査を受けて「異常なし」と判断されれば、競走に参加できる。
八百長防止のため、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで(基本は4~5日)、選手全員が競輪場併設の選手宿舎に缶詰めにされ、外部との接触は例え身内でも一切禁止となり(余程の特別な事情がある場合は施行者側職員が立ち会う)、携帯電話や通信機器も前検日に競輪場に必ず預けなければならない。(公営競技全般において、もし参加中に所持していることが発覚すれば、一定期間の斡旋停止など厳しい処分が課せられ、使用が発覚した場合には更に重大な処分が課せられる)
基本的には開催初日から最終日まで毎日1走(競艇などと違い1日に2走以上することはない。また、レースによっては休み日を挟む場合あり)し、帰宅の際、競輪場から賞金を支給される。ただ、レースで失格処分を受けたときは、開催途中であっても即日競輪場から斡旋・参加の契約を解除され、競輪場から"追放"される。
競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2~ 3回ほど繰り返しているが、競輪は基本的に365日全国どこかの競輪場で開催されているため、競輪選手にとって盆や正月はあってないようなものである。
なお短期間に失格を繰り返したり、多くの警告を受けるなどした選手は、日本自転車振興会から強制呼び出しを受け、制裁の程度により日本競輪学校または日本サイクルスポーツセンターにおいて3泊4日または5泊6日の特別訓練を課せられるが、特に悪質とされた選手については黄檗宗大本山において5泊6日の厳しい「お寺での修行」(通称・お寺行き)が命じられ、お寺での宿泊中は座禅を組んだり周辺の掃除などを課せられるため練習は行えず、選手からも恐れられている。
このあたりは、漫画『ギャンブルレーサー』に非常に詳しいので参照されたい。
[編集] 競輪選手の収入
選手の収入は競走での賞金に依るものだが、各競輪場の前年度の売り上げにより翌年度のレース毎の賞金支給額が決まるため、同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なることが多い。また、レース毎、着順毎に賞金が決められているため、当然にGIレースの決勝戦ともなると、賞金総額が数千万単位と格段に大きくなる。しかし途中棄権の場合は9着(棄権が1人の場合)賞金から20%がカットされ、失格になったらそのレースの賞金は支払わない。この他、額は多くないが、レース中に雨や雪が降れば「(通称)雨敢闘手当」、正月三が日に競走に参加すれば「(通称)正月手当」(実際には年末年始の特定開催となる)が支給される。また、これ以外に失格・棄権関係なく「競走参加手当」(日当)および競輪場までの「交通費」が支給される。かつては選手個々に手渡しであったが、無用心でもあるので、最近は殆どの選手が銀行振込にしている。
なお賞金額の最高はKEIRINグランプリ1着の1億円であり、最低はA級予選9着の3万円である。(2005年度現在)
[編集] 選手のクラス分け
- 競輪選手は実力に応じて大きくS級、A級の2つのクラスに分けられ、さらにその中でもS級は2班、A級は3班のクラスに分けられる。
- 日本競輪学校卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
- 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる(A級は横のラインが緑、S級は横のラインが赤。国際競輪に出走する外国人選手は赤地のレーサーパンツでラインの色はレインボー)。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
- S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1~6月、7~12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1~6月、下半期は前年の7~12月)の競走成績を基に決定。
[編集] S級特別昇級制度
A級のレーサーが3開催連続して「完全優勝」(全ての出走レースにおいて1着となること)を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時に昇級される。また、レインボーカップシリーズという、S級特別昇級9人の枠を争うシリーズが行われている。
[編集] 仕組み(セカンド・ファイナルの両ステージは3日間トーナメント)
- それぞれの新しい選考期間の最初の月(前期:1月、後期:7月)に、ファーストステージを行い、全選手の平均競走得点上位270人がセカンドステージに進出。対象となるのはすべてのレース。
- セカンドステージ(4月、10月)は270人が全国6ヵ所(各場45人ずつ)に分かれてレースを行い、決勝戦出場の54人(同9人ずつ)がファイナルステージに進出する。
- ファイナルステージ(6月、12月)は第2ステージに勝ち上がった54人が集結したトーナメントで、優勝戦勝ち上がりの9選手は優勝戦の翌日付でS級特別昇級となる。
[編集] 特別昇級の特典
特別昇級してから2期の間(1年間)は、降級しない。少なくともS級2班の格付けを得る。昇級は可能である。ただし、レインボーカップから昇級した者は、この期間を3期とする(つまり期末に特別昇級してしまうため、その期間を算入している)。
[編集] 競技で活躍した競輪選手
競輪選手も自転車選手という側面を持つことから、各種の自転車競技に参加している選手もいる。長い間プロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。
[編集] 世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手
[編集] オリンピック自転車競技で活躍した競輪選手
- 坂本勉 - 1984年 ロサンゼルスオリンピック スプリント種目で銅メダル獲得 ※選手登録前
- 小嶋敬二 - 1992年 バルセロナオリンピック 出場 ※選手登録前
- 十文字貴信・神山雄一郎 - 1996年 アトランタオリンピック
- 十文字貴信は1kmタイムトライアル種目で銅メダル獲得
- 神山雄一郎・稲村成浩・太田真一・長塚智広 - 2000年 シドニーオリンピック
- 伏見俊昭・長塚智広・井上昌己 - 2004年 アテネオリンピック
- 全員日本代表チームとしてチームスプリント種目で銀メダル獲得
[編集] その他のオリンピック競技で活躍した競輪選手
高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。
- 市村和昭 - 1980年 レークプラシッドオリンピック出場・スピードスケート
- 三谷幸宏 - 1988年 カルガリーオリンピック出場・スピードスケート
- 植松仁 - 1998年 長野オリンピック 銅メダル・スケートショートトラック500m
- 武田豊樹 - 2002年 ソルトレークシティオリンピック 8位入賞・スピードスケート500m
[編集] 選手寿命
競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には66歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している。また、50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。
最近では2004年に当時45歳の競輪選手・松本整が高松宮記念杯競輪を優勝し話題となる(直後に引退)。また1984年のロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉は、現在においても最高位のS1に位置している。更に、竹内久人(岐阜・37期)は2006年上期で唯一50代S級(2班)選手であり、その長男・公亮もS級(2班)選手と、史上初の親子S級在籍となった。
このように競輪選手の寿命が長い原因としては、競技の特性が上げられる。競輪は他のスポーツと違い、骨や関節に負担がかかりにくいと言われる。トラック競技をはじめ、野球、サッカー、相撲等は筋肉より先に肘や膝を悪くしてしまう。その為に30代で限界がきてしまうのであるが、競輪の場合、肘はもちろん膝にも負担がかかりにくい。よって落車により体を痛めない限り体への負担が軽いのである(但し自転車に乗車する姿勢から腰には負担がかかりやすい)。
また、年をとるとハイパワーでの持久力が極端に減る。このことも他のプロスポーツでは致命的なハンデとなっている。しかし競輪の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦法があることで他のプロスポーツと異なるアドバンテージを持っている。これは最後の直線までは自分とラインを組んでいる選手の後ろを回り、風除けにすることでハイパワーでの持久力を必要としない戦法である(風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れる)。従って、かなりの選手は年齢をとると追い込み戦法に変わることが多い。
このことは逆に選手の新陳代謝を阻害している側面も指摘されており、実際近年トップスターの座にいる選手の中には10年前からトップスターだった選手が何人もいる。よって古くからのファンは喜んでいるが若いファンの開拓には不向きな側面もあるといわれる。事実、2005年度のオールスター競輪の決勝では10~15年前が全盛時の選手が数人居た為、”タイムスリップしたようだ”などと揶揄された。
なお現在の実働最高齢選手は、1947年8月3日生まれの坂東利則選手である。
[編集] 日本競輪選手会
- 競輪もプロ野球選手同様、日本競輪選手会(以下 選手会)という組織が存在する。非常に強い権限を持っており、事実上、選手の雇用主としての側面もある。
- 競輪選手は選手会の全国の支部に所属しなければならない。そうしないと競走の斡旋を日本自転車振興会から拒否される。
- 選手へのペナルティを参加自粛要請という形で、日本自転車振興会とは独立して行うこともあり、しばしば二重制裁と言われる。
- また、競輪とは関係ない独自の事業を行って、選手会への積立金を立て、会員に還元する試みを近年行っている。
- 選手会の幹部は競輪選手ではあるものの、競走へはあまり参加していない。これは選手会の業務が忙しいためと言われる。そのため何年も競走へは参加していない幹部も多い。しかし特別に登録消除(引退)にはならない規則となっている。(現会長の岩楯昭一も選手の扱いとなっており、登録上は最高齢の選手である)
プロ野球の選手会と違い、競輪はマスコミやファンにはあまり人気があるとは言えない。これは1989年のKEIRINグランプリを、賞金の値上げ闘争の代償に中止へ追い込んだことが始まりとされる。この際に「ファン無視」と当時のスポーツ新聞は大々的に書きたてた。その後も出走ゲートに選手が揃ったにも関わらず、先頭誘導員に出走拒否命令を下し、開催が中止になったこともある。これも選手会の闘争の一環として行われたが、ファンとマスコミからは大ブーイングを浴びた。
さらに松本整元選手との争いも有名である。松本整が現役時代に引退前年のレースで失格を連発した際に、選手会が先述の「二重制裁」を加えたことついて、松本整は「選手会は僕を守ってくれなかった」と反発した。この争いについては双方に言い分があるのだが、ファンや競輪マスコミは松本整を支持する声の方が強かったのが現実である。結局、松本整はそれまでのS1からいきなりA級に降格を決められたことや、自身を守ってくれなかった選手会に反発し、2004年の高松宮記念杯競輪優勝を花道に引退して競輪界を震撼させた。
現在、競輪場が閉鎖された件についていくつかの裁判闘争を行っているが、あまり状況が良くない為、競輪場閉鎖への抑止力としての役目は難しいようである(ただし、これは選手会における約款の解釈に多少の無理があるからともいわれている)。
[編集] 女子競輪選手
1948年(昭和23年)11月から1964年(昭和39年)9月までは、女性の競輪選手による「女子競輪」が開催され、女性誌等で「ミス・ケイリン」と取り上げられるなど、多方面に話題を提供したこともあった。最盛期には600人を超える選手が在籍していたこともあったが、選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多く、ギャンブルとしての魅力が乏しかった事などから、結局廃止に至ることになり、末期に残った200人程の選手は全員引退となった。
なお女子選手が男子選手と結婚し、その子供も競輪選手になったという例もあり、中野浩一もその中の一人である。
[編集] 余談
- 競輪選手の数は、最大期には4000人に近い数字を保ってきたため社会の縮図としての側面も見受けられる。具体的に言えば、珍名の選手、元教師、元警察官等の転職歴がある選手、副業を行っている選手、芸能人が家族にいる選手、競輪場以外で事故死する選手、逮捕される選手など様々である。残念ながら過去には選手自身が自転車競技法違反で逮捕される事例もあったが、ここ20年ほどは発生していない。ちなみに選手会の力が非常に強いため、自転車競技法に関する事例を除き悪質な犯罪でない限り、逮捕されてもすぐに登録消除にはならないようである。しかし最長1年以上の出場停止を科された例もある。
- 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生である。ただし中には他のスポーツから転向した者も多く、実業団出身や上記のようなスピードスケートなどからの転向者もいる。特に全く自転車競技経験のない者として
- など一風変わった職歴の持ち主もおり、他にも学生野球・陸上競技・ラグビー・大相撲・オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。なお日本競輪学校では自転車競技経験のない者を対象にした適性試験も実施しているが、選手を志し短期間で自転車の乗り方を覚えて通常の試験を受ける者も多い。