灯台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
灯台(とうだい)は、
- 航路標識の中の光波標識の一種、すなわち灯火によって船舶の航行を支援する施設の一つ。ちなみに江戸時代は灯明台と呼ばれていた。 (Lighthouse)
- 上に油皿をのせて灯心を立て火をともす昔の室内照明器具。灯明台。
- 灯台下(もと)暗し - 灯台(2)の真下が暗いように、身近なことがかえって気づきにくいことのたとえ。
- 第三文明社の発行する雑誌。
ここでは1.について記述する。なお、1.及び2.については当用漢字(現常用漢字)制限前は「燈台」と書かれており、現在でもその表記との混在が見られる。
岬の先端や港内に設置され、コンクリートやレンガなどでできた塔状の形をしており、最上部には数キロ先からでも識別可能な強力な光源がある。夜間には光源が明滅(大型のものは、指向性を持ったレンズを回転させている)し、航行する船舶が明滅周期により場所を識別する目印にされている。
霧などで見通しの悪い場合は、霧笛を鳴らしたり、識別用の電波を発信したりもする。 上記以外に、船の位置を正確に計るための信号を発している灯台もあり、電波灯台又は方位信号所と呼ばれている。 尚、電波灯台の中には航空灯台という航空機の航行を支援する施設があり、識別用の電波を発信している。
多くの国では、灯台はいわゆるコースト・ガード(沿岸警備隊)あるいは港湾行政当局の管理下にあり、わが国においても、総括的には海上保安庁交通部(旧「灯台部」)の所管のもとにあり、個別的には各管区海上保安本部所轄下の各海上保安部が設置・維持・管理等を行う。
目次 |
[編集] 歴史
記録に残る最古の灯台は、紀元前7世紀にエジプトのナイル河口の寺院の塔上で火を焚いたことに始まると言われている。その後アレクサンドリア港口のファロス島にいわゆる世界の七不思議の一つである大灯台が紀元前279年頃から約19年の歳月をかけて建設された。これは約134mの高さがあったと言われ796年の地震で半壊するまでは使用されていた。その後、宝物が埋まっているとの噂により破壊が進んだが、1375年の地震により崩壊するまでは建っていた。最終的には1477年に跡地に要塞が建設されたため、完全に破壊されたと言われている。また、同じく世界の七不思議の一つであるロードス島の巨像も灯台の機能を果たしていた。
日本最初の灯台については、839年(承和6年)に復路離散した遣唐使船の目印として、九州各地の峰で篝火を焚かせたと続日本後記にあるのが最初であると言われている。建設が確認される最古の灯台は、摂津国の住吉大社(大阪市住吉区)の西にあるかつては住吉大社の馬場だった住吉公園入口に復元されている鎌倉時代に建てられた高灯籠である。
江戸時代に入り、海運が盛んになると、日本式の灯台である灯明台や常夜灯が岬の上や港に近い神社の境内などに設置されるようになった。
現役最古の灯台は兵庫県西宮市にある今津灯台で、1858年に再建されたものが航路標識として海上保安庁から正式に承認されている。
日本最初の洋式灯台は1869年(明治2年)1月1日(旧暦。新暦では2月11日)に点灯した観音埼灯台で、着工した1868年(明治元年)11月1日(旧暦では9月17日)が灯台記念日となっている。
また、現存最古の洋式灯台は旧品川燈台(1870年点灯、品川区から犬山市の博物館明治村に移築)で重要文化財に、現地に建つ最古の洋式灯台は旧堺燈台(1877年点灯、大阪府堺市)で国の史跡に、それぞれ指定されている。
日本の開国は1854年であるが、日本近海は暗礁も多い上、光達距離の短い灯明台や常夜灯の設置のみで航路標識の体系的な整備が行われていなかったため諸外国から「ダークシー」と呼ばれておそれられた。このため1866年5月にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ改税約書(租税条約、江戸条約)の中で8ヶ所の灯台、1867年4月にイギリスと結んだ大坂約定(大坂条約)の中で5ヶ所の灯台を整備することが定められた。明治維新による政権交代があったため着工が1年遅れたが、順次建設された。これらの設計・建設には、お雇い外国人である英国人、リチャード・ヘンリー・ブラントンなどが携わった。
その後、海運の発展とともに航路標識の整備も進み、第二次世界大戦直前期には400基を数えるようになったが、依然として諸外国の水準とは隔たりがあり、「ダークシー」と呼ばれる状況は続いた。昭和初期になっても式根島では私設灯明台が建てられている。
戦後は高度経済成長により飛躍的に増加し、2004年4月1日現在で全航路標識総数は5,600基、うち灯台だけで3,348基となっている。
2006年(平成18年)11月12日に、日本で最後の職員滞在灯台であった女島灯台(長崎県五島市)が自動化され、日本の全ての灯台が無人化された。なお女島灯台は、灯台守を主人公にしたことで著名な映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督)の舞台のひとつとなったことで知られる。
[編集] 江戸条約の灯台
- 観音埼灯台(初点灯1869年)
- 野島埼灯台(1870年)
- 樫野埼灯台(現存・現役・1870年) - 初めて回転式せん光を採用した
- 神子元島灯台(現存・1871年)
- 剱埼灯台(1871年)
- 伊王島灯台(1871年)
- 佐多岬灯台(1871年)
- 潮岬灯台(1873年)
[編集] 大坂条約の灯台
[編集] 灯台の命名方法
灯台の命名方法は建っている灯台はその岬や堤防の名を記する。例えば犬吠崎の先端に建っている灯台は犬吠埼燈台または犬吠埼灯台と記するわけである。
堤防の先端に建っている灯台は場所を示す固有名詞の後に、堤防燈台又は堤防灯台という名前を付ける事が通例ではあるが、重要な港湾灯台には固有名詞の後に燈台、灯台としている物もある。
[編集] 灯台と燈台
灯台は構造物を表す言葉で、ごく近年建てられた一部の灯台を除き、殆どの灯台では地点を表す固有名詞の後に燈台を付け正式名称としている。これらの多くは、常用漢字として灯台が採用される以前に命名された灯台である。
常用漢字が制定されてからは、燈台と言う名詞が付いているにもかかわらず、灯台が使われることがある。 基本的には人名同様、既に記された固有名詞には常用漢字と言う範疇は当てはめることが出来ないので、地点を表す固有名詞の後に燈台と名前が付いている灯台に対し、地点を表す固有名詞の後に灯台と付ける用法は意味が異なる用法になる。
- 例
- 犬吠埼燈台 - 正式名称で灯台その物の構造物の名称
- 犬吠埼灯台 - 犬吠埼に建っている灯台
尚、地図などでは地点を表す言葉として使用するので、固有名詞の後に灯台を付けることが多い。
[編集] 崎と埼
一般に岬に建つ灯台には岬の名前として埼を使用する。崎は地形を表し、埼はポイントを表す。灯台本来の目的はポイントを船舶などに周知する目的のため、埼を使用する。
[編集] 材質別分類
- 木造灯台
- レンガ造灯台
- 石造灯台
- 鉄造灯台
- コンクリート造灯台
- 鉄塔(電波灯台)
[編集] 灯台の諸元
実際の灯台の諸元は、海上からの高さを元に策定される。以下は灯光する灯台の諸元。
- 光達距離
- 航路標識灯の灯台では灯台頂上から見える水平線が光達距離となる。
- 光源
- 水銀球など幾つかの種類がある。航路標識灯の灯台では灯台頂上から見える水平線が光達距離となる為、光達距離まで届くだけの明るさにしている。
- 発光間隔
- 大型のものはレンズを回転させ、あたかも点滅している様に見せかけている。この発光間隔は灯台毎に定められており、隣接した灯台でも発光間隔が違うため何処の灯台かを判断できるのである。
- レンズ
- 大型の灯台ではフレネルレンズと呼ばれるレンズが使用される。
[編集] 代表的な灯台
[編集] 灯台の公開
常時一般公開されている灯台を参観灯台と呼ぶ。現在は14灯台で、近年増えてきているが、社団法人燈光会などが海上保安庁から委託を受け、有料で参観事業を行っている。また、舳倉島灯台(石川県輪島市)もそれとは別に無料で、常時一般公開されている。これらの灯台は、上まで登って眺望を楽しむことが出来、資料館や展示室を併設していて、見学できるものもあるが、荒天時や冬期間に公開されない場合もある。常時一般公開されていない灯台でも、海の日(7月の第3月曜日)や灯台記念日(11月1日)の前後などに、特別公開される場合がある。
[編集] 関連項目
- 灯台守
- 灯台の画像一覧
- 船舶
- 港湾
- 航路標識
- 四国村 - 旧江埼燈台退息所、旧鍋島燈台退息所、旧クダコ島燈台退息所、旧大久野島灯台が移築保存されている
- 喜びも悲しみも幾歳月 - 灯台守を主人公とした著名な日本映画(1957年)
- アイダ・ルイス - アメリカ合衆国史上最も有名な灯台守(女性)
- リチャード・ヘンリー・ブラントン
- パルサー - 別名、宇宙の灯台