浜頓別駅
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浜頓別駅(はまとんべつえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡浜頓別町浜頓別154にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線と日本国有鉄道(国鉄)興浜北線の駅。1985年7月1日に興浜北線が廃止。1989年5月1日に天北線とともに廃止された。名前の由来は、アイヌ語「トウ・ウン・ペツ」(沼から出る川の意)から転化したものである。
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[編集] 駅の構造
急行「天北」が停車するため、島式と単式の複合型ホーム2面3線を有する交換可能駅であった。興浜北線廃止後は、1番線の線路を撤去したため島式ホーム2面2線となった。
[編集] 駅跡周辺
廃止後は駅の跡地に宗谷バス浜頓別バスターミナルが新たに建ち、天北線廃止後も係員が配置されて乗車券を発売しており、賑わいを見せている。建物の2階には、浜頓別町立図書館と鉄道記念館がある。線路跡の一部は国道275号線に転用されていて、駅前通りを道路が貫いている。その他の線路跡は公園や遊歩道として整備された。駅の裏には、新しく浜頓別町役場が新築された。
[編集] 歴史
1920年に樺太(サハリン)への連絡鉄道として延伸開業を繰り返し行ってきた宗谷線の駅として開業した。開業当時は宗谷線の終点駅だった。1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季代替輸送に問題があったため、天北線、名寄本線、池北線、標津線の4線は廃止が保留された。しかし道路整備の発達により問題がなくなり、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化後1989年に天北線と共に廃止された。
- 1914年11月7日 宗谷線音威子府~小頓別間開業。
- 1916年10月1日 小頓別~中頓別間開業。
- 1918年8月25日 中頓別~浜頓別間開業。
- 1919年10月20日 宗谷線→宗谷本線。
- 1919年11月1日 浜頓別~浅茅野間開業。
- 1920年11月1日 浅茅野~鬼志別間の延伸開業により駅設置。
- 1922年11月1日 鬼志別~稚内(現在の南稚内)間開業。これによって宗谷本線音威子府~浜頓別~南稚内間全線開通。
- 1928年12月26日 稚内~稚内港(現在の稚内)間開業
- 1930年4月1日 宗谷本線から北見線に改称。
- 1961年4月1日 北見線から天北線に改称。
- 1985年8月2日 天北線が第2次特定地方交通線として廃止承認。
- 1987年4月1日 日本国有鉄道の分割民営化により北海道旅客鉄道の駅 となる。
- 1989年5月1日 天北線全線廃止。宗谷バスにバス転換。
[編集] その他
音威子府・南稚内間は選択乗車制が適用されており、音威子府以遠から南稚内・稚内へ向かう場合と、稚内・南稚内から音威子府以遠に向かう場合は、天北線内で途中下車しないことを前提に、キロ数が少なく割安な宗谷本線経由で運賃を計算していた。
上記の乗車券を持った乗客が天北線内で途中下車した場合、南稚内・音威子府間の運賃は天北線経由で計算され、宗谷本線経由との差額を払う必要があった。当駅では、この差額を精算するための区間変更券が路線廃止まで常備されていた。
興浜北線(浜頓別~北見枝幸)は当駅所属の車掌が担当していた。駅所属の車掌の例として、北海道では中湧別駅(湧網線)、興部駅(興浜南線)、渚滑駅(渚滑線)、美幌駅(相生線)、中標津駅・標茶駅(標津線)、新夕張駅(石勝線)、斜里駅(釧網本線)、長万部駅(瀬棚線、旧函館車掌区長万部支区)がある。中標津駅と新夕張駅の車掌はJR以降も乗務していたが、中標津駅は標津線廃止により、新夕張駅は石勝線普通ワンマンにより消滅した。
[編集] 隣の駅
- 日本国有鉄道
- 興浜北線
- 浜頓別駅 - (頓別仮乗降場) - 豊牛駅