東野英治郎
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東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年9月17日 - 1994年9月8日)は日本の俳優。群馬県富岡市出身。明治大学卒業後、新築地劇団に入団。
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[編集] 来歴・人物
東野英治郎の実家は日野商人(近江商人)の家系で、出身地とされている群馬県富岡市は店の所在地で、実際の本宅は滋賀県蒲生郡日野町。長男は俳優の東野英心。1944年、小沢栄太郎、千田是也らとともに俳優座を結成。以後、舞台のみならず、映画・テレビで主に貴重な脇役として活躍。
36年以上も続いているTBSテレビ系列の人気時代劇『水戸黄門』で、主役の徳川光圀(水戸光圀)を番組開始の1969年8月4日から1983年4月11日まで演じ、足かけ14年(途中、他の番組と交代している時期もある)、全381回、世直し旅で全国を行脚する黄門様を演じ続けた。月形龍之介に代表されるこれまでの堅く重々しい黄門様のイメージを一新し、頑固だがユーモア溢れる田舎の好々爺的な雰囲気と、事が丸く収まった後の「かっかっかっ!」という明るい高笑いで人気を集めた。
日本テレビの演芸番組『笑点』で林家木久蔵が大喜利で東野のものまねを披露したことがあるが、世代を問わず水戸黄門=東野が演じた黄門という共通認識が存在しているようだ。一世一代の当たり役と言えるだろう。
黄門役が定着していた頃、地方ロケなどに行くと、黄門に扮した東野を手を合わせて拝む老人もいたという。東野はインタビューで「私は役柄と違い、拝んでいただくような立派な人間ではありませんよと、恐縮し申し訳なく思う」などと発言している。私生活では息子・英心を産んだ妻と離別し別の女性を選んだため、英心との関係も複雑だったと言われている。
1982年7月、高齢による気力体力の減退等を理由に黄門役から降りる事を表明(特に台詞覚えが悪くなったのが大きかったらしい)。後輩の西村晃にバトンタッチした。
その後も散発的に俳優活動を行っていたが、1994年9月8日、自宅で心不全のため死去。享年86。
亡くなった後、テレビ東京で1994年10月5日に放送された『荒木又右衛門 男たちの修羅』が遺作となる。
晩年に演じた厳しくも優しい光圀役のイメージが強く、俳優としては善人役が定番だと思われがちだが、それ以前、数多くの映画に出演した時はむしろ狡っ辛い悪役が定番だった。これは西村や、月形にも共通している。
[編集] 出演作品
[編集] 映画
- 東京物語(1953年)
- 潮騒(1954年)
- 七人の侍(1954年)
- 生きものの記録(1955年)
- 野獣死すべし(1959年)
- 日本誕生(1959年)
- 安寿と厨子王丸(1961年、声の出演)
- 世界大戦争(1961年)
- 用心棒(1961年)
- キューポラのある街(1962年)
- 秋刀魚の味(1962年)
- 天国と地獄(1963年)
- 馬鹿が戦車でやってくる(1964年)
- 赤ひげ(1965年)
- 無法松の一生(1965年)
- 白い巨塔(1966年)
- 太陽の王子ホルスの大冒険(1968年、声の出演)
- 続・男はつらいよ(1969年、坪内散歩先生、寅次郎の柴又商業学校時代の恩師でマドンナ冬子の父)
- トラ・トラ・トラ!(1970年) - 南雲忠一中将役
- 獄門島(1977年)
- 水戸黄門 (1978年)水戸光圀役
- 社葬 (1989年)
- あげまん(1990年)