木村健悟
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プロレスにおいて木村健悟(きむら けんご)のリングネームでの活躍で最も知られる木村聖裔(きむら せいえい、 きむら たかしと紹介しているプロレスラー名鑑もある 1953年9月4日 - )は、日本の元力士、元プロレスラーである。プロレスラーとしての最終所属は新日本プロレス。愛媛県新居浜市出身。ニックネームは「稲妻戦士」。
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[編集] 経歴
大相撲の宮城野部屋を経て、1972年1月に日本プロレスに入門。1972年8月2日、鹿児島・喜界島中学校グラウンドでの佐藤昭雄戦でデビューを果たす。
1973年3月、新日本プロレスへ移籍。1985年12月、藤波辰巳とのタッグで初代IWGPタッグ王座を獲得した。その後藤波と敵対関係となり、幾多の熱戦を繰り広げる。この抗争は非常に盛り上がり、1987年1月には、後楽園ホールにて藤波対木村のシングルマッチのみの興行が行われたほどである(この試合の詳しい経緯は後述)。木村は決着戦に敗れ海外遠征に出向き、ベニー・ユキーデのもとでマーシャルアーツを身につけて帰国した。帰国後、大阪府立体育会館で、ケリー・ウイルソンと異種格闘技戦を行い、バックドロップ、右ストレートのコンビネーションで鮮やかな勝利を飾った(ちなみにこの日のメインイベントは、アントニオ猪木対マサ斉藤戦。かの有名な「海賊男」が登場した)。
1992年8月、越中詩郎らと反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。
脚の攻撃は腕の3倍の威力が出せるという理由で、脚のラリアットである稲妻レッグラリアートを開発して得意技としており、スタン・ハンセンがラリアットを放つ腕にサポーターを付けていたのと同様に、レッグラリアートを放つスネにサポーターを着用していた。また、「イナヅマ!」と叫んでから技を放つことが多かった。古舘伊知郎がプロレス中継の際に「稲妻のような電光石火で叩き込む足でのラリアート」と叫んだことから命名された。相手によって高さを使い分け、胸板を打ち抜く稲妻と喉元を打ち抜く稲妻があった。過去にタッグ戦で、喉元を打ち抜く稲妻で佐々木健介をKOし、同じ試合で胸板を打ち抜く稲妻で長州力にフォール勝ちしたこともある。
全盛期には、負けそうで負けなかったり、勝てそうで勝てなかったりと試合結果が読めない試合が多く、それが逆に金曜8時のワールドプロレスリング時代からのファンにはたまらない個性的な昭和のレスラーだった。衰えた猪木とのシングル戦直前にインタビュー中の猪木に「試合の前に負ける事を考える奴がいるか!」と言わせたことや、喉元を打ち抜く稲妻レッグラリアートに対しては、猪木が「俺にはあんな(危険な)技を使うな」とも言っていたことがある。
体力が衰えはじめたころに、小原道由から「こんな弱い奴とやらすな!」とまで罵られてしまったこともあったが、その当時、本人もそれを自覚していて2003年4月18日後楽園ホールの西村修とのシングル戦(キャッチルール)での大熱戦を最後に、昭和時代のファンから惜しまれながらも引退していった。引退試合の相手には長年のライバル・藤波を希望していたが、藤波の体調が優れず実現されなかった。引退後は、新日本プロレスのスカウト部長の要職に就き(スカウト部長になる前も田口隆祐をスカウトしていた)、テレビ解説も行なっていたが、2006年3月27日付けで自主退社した。
2006年4月、社長として株式会社円天興行を設立した。母体会社の会長を直接の師匠筋である坂口征二から紹介してもらったと新聞インタビューで語っている。
[編集] エピソード
- 経歴欄にある藤波-木村戦は新日本の新春シリーズ「ニューイヤー・ダッシュ」において、2度行なわれ、最初の試合で木村がレッグサポーターに凶器を入れ稲妻レッグラリアートを敢行し、藤波からフォール勝ちしたが、反則行為が発覚して裁定はノーコンテストとなる。内容を不服とした藤波サイドから後日再戦の申し入れが出たことを受け、前述のワンマッチ興行となり、藤波が今度は勝利する。この両試合のレフェリーは上田馬之助。
- 民主党から参議院議員選挙に比例区で立候補したことがある。その選挙運動は自らハーレーダビッドソンに乗って回っていた。
- 2004年には目黒区議会議員を務める夫人がひったくりに遭い報道された。
- 『らしくもないぜ』『デュオ・ランバダ』『孤独(ひとり)』などのオリジナル曲がレコード発売されている。
- サイドビジネスとして宅配寿司屋を経営していたが閉店した。
- テレビのインタビュアーに一言お願いします、と言われ「イナヅマ!」と答えた。
- 2005年に行われた小島聡vs天山広吉の史上初のIWGP&三冠王座戦の宣言で小島を「こじま"さとる"」(正:さとし)と間違えた。小島は木村の付き人を務めていたことがある。
- スタイナーブラザーズに対し、解説時に「彼らの肉体は"日本人"離れしていますからね」と言ったことがある。
- 武藤敬司はCSのサムライの番組で「おれは木村健吾さんの付き人で楽でよかった、あの人は怒らないから。」とコメントし、周りを笑わせた。
[編集] リングネーム
木村聖裔が使用したリングネーム。
- 木村たかし(デビュー当初)
- 木村聖裔
- パク・チュー(メキシコ修業時代)
- 木村健吾
- 木村健悟
[編集] 得意技
- 稲妻レッグラリアート
- トライアングル・スコーピオン
- ドリル・ア・ホール・パイルドライバー
- キチンシンク
- パワーボム
- エルボースマッシュ
- ソバット
- 片足ダイビングフットスタンプ
- ドロップキック
- 首固め
- ボクシング式パンチ
- 回転エビ固め
- バック・ドロップ
- ミドルキック
- プランチャ(若手時代)
[編集] 主なタッグパートナー
[編集] タイトル履歴
- NWA世界ライトヘビー級王座 : 1回
- NWAインターナショナル ジュニアヘビー級王座 : 1回
- 新日本プロレス
- IWGPタッグチーム王座 : 4回(&藤波辰巳x4)
- WWF
- WWFインターナショナルタッグ王座 : 1回(&藤波辰巳)