春日 (巡洋艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春日(かすが)は、日露戦争で活躍した旧日本海軍の春日型巡洋艦一番艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は日進。
[編集] 概要
日清戦争後、日増しに緊張の度合いを深めるロシアとの関係に備え、日本海軍は10年間で戦艦6隻、一等巡洋艦6隻を主力とする巨大海軍を作り上げた。しかし、バルト海にいるロシア本国艦隊と極東のロシア旅順艦隊が一体になれば、日本海軍はまだ戦力において劣っていた。
明治36年(1903年)、アルゼンチンの発注によりイタリアで建造中だった装甲巡洋艦「リヴァダヴィア」と「モレノ」に日本の同盟国の英国が目をつけ、内々に日本に購入を促してきた。この2隻は、アルゼンチンがチリとの緊張関係にある時期に発注したが、その後両国が和解したため存在が宙に浮いている状態であった。ロシアもこれに気がつき、日露両国で購入合戦となったが、最後は日本が思い切った価格を提示したため、日露開戦直前に日本に売却された。イタリアから日本へ回航する際には、開戦となれば速やかに攻撃するために、ロシア艦隊が追尾してきた。しかし回航を請け負った英アームストロング社員を護衛する名目で英国艦隊が支援したこともあり、無事横須賀へ着いた。この時の回航責任者は、海軍中佐鈴木貫太郎であった。
「リヴァダヴィア」は春日、「モレノ」は日進と命名され、第1艦隊に属し旅順港閉塞作戦に参加した。特に春日の主砲である25.4cm砲は連合艦隊の中で最も射程が長く、旅順要塞の射程外から楽々と旅順港内に撃ち込むことが出来たため、港に籠っているロシア旅順艦隊に一定の心理的影響を与えた。
春日と日進がともに参加した日本海海戦の大勝利は、この2隻を売却したアルゼンチン政府や海軍も喜ばせた。これが縁となり、毎年5月27日の旧海軍記念日に開催される日本海海戦記念式典には、英国海軍武官とともにアルゼンチン海軍武官も招かれるのが通例となっている。
[編集] 略歴
- 明治35年(1902年)3月10日 イタリアで起工。10月22日 進水式。
- 明治36年(1903年)12月30日 日本海軍が購入。春日と命名。
- 明治37年(1904年)2月16日 横須賀に到着。4月6日 第1艦隊第1戦隊所属。5月14日、二等巡洋艦吉野との衝突事故発生(吉野沈没)。8月10日 黄海海戦参加。
- 明治38年(1905年)5月27、28日 日本海海戦参加。7月21日 第3艦隊に所属し樺太占領作戦に参加。
- 明治39年(1906年)4月12日 主砲弾1発を皇居に設置(後に早大通りに移設)。
- 大正3年(1914年)8月 第一次世界大戦によりアモイ、フィリピン、インド洋、南シナ海で作戦行動に参加。
- 大正6年(1917年)9月14日 オーストラリア西岸で座礁事故。
- 大正7年(1918年)1月11日 蘭印(現・インドネシア)バンカ海峡で座礁事故。後にシンガポールで修理。
- 大正10年(1921年)9月1日 一等海防艦
- 大正11年(1922年)9月~ シベリア出兵により沿海州警備に参加。
- 大正14年(1925年)12月1日 運用術練習艦
- 昭和4年(1929年)1月 南洋諸島兵要調査に参加。
- 昭和6年(1931年)6月1日 海防艦
- 昭和9年(1934年)1月 南洋諸島ローソップ島の日食観測活動に参加。4月1日 練習艦。
- 昭和17年(1942年)7月1日 練習特務艦
- 昭和20年(1945年)7月18日 横須賀において米軍艦載機の爆撃を受け大破着底。11月30日 除籍。
- 昭和23年(1948年) 引揚、解体。
[編集] 諸元
- 基準排水量 7,700t
- 全長 105.0m
- 全幅 18.7m
- 最大速力 20.0ノット
- 武装 25.4cm砲1門、20.3cm砲2門、15.2cm砲14門、76mm砲8門、45cm魚雷発射管5門
- 乗員 562名