文藝春秋 (雑誌)
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文藝春秋 (ぶんげいしゅんじゅう)は、株式会社文藝春秋が発行する雑誌(総合誌)である。
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[編集] 概要
1923年1月菊池寛が大きく揺れ動いた時代を背景に私財を投じて創刊した。(文藝春秋創刊の辞)月刊である。毎月1日発行、10日発売。判型はA5判。通常は448ページ。目次は折り畳み式。文芸春秋という誌名は菊池寛が『新潮』で連載していた文芸時評のタイトルから来ている。
会社の看板媒体でもあることから、文春社内では「本誌」と通称されている。
伝統、風格、売り上げ、質、以上の全ての面で日本を代表する言論誌である。カバーするジャンルは政治、経済、経営、社会、歴史、芸能、軍事、皇室、教育、医療、スポーツと多岐に及ぶ。政治家、研究者、実業家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家による論文や記事が、毎号三十本ほど掲載される。創刊時は倉田百三、島田清次郎などの女学生に人気のあった作家のゴシップを掲載する記事も多く見られた。
読者層の高齢化に合わせてか、近頃は団塊の世代が好む昭和ネタを組む事が多い。
70年代前半までは菊池寛時代の名残から作家の人物批評やゴシップ記事が何度も取り上げられた事があったが、80年代に入ると出版社の肥大化によって商業主義的色彩を強めざるをえなくなりこうした記事は一切見られなくなった。
日本共産党、社会民主党など左派政党には批判的で、これらの政党の政治家の文章は全くと言っていいくらい載らない(2005年9月号では、社会民主党元党首土井たか子の戦争体験談が掲載されるなどしており若干の例外がある)。公明党と創価学会も同じ。
2月号で文藝春秋読者賞、3月号と9月号で芥川賞、6月号で大宅壮一ノンフィクション賞、7月号で松本清張賞、12月号で菊池寛賞の受賞者が発表される。
[編集] 内容
[編集] 常時連載
- 日本の顔 モノクログラビアで、その時々の話題の人物を紹介する。
- わたしの映画スタア 各界の著名人が自分の好きな映画俳優、女優を語る。
- 小さな大物 各界の著名人の子供の時の写真を掲載。
- 同級生交歓 同じ学校出身の有名人が面会して、昔を懐かしむ。
- 巻頭随筆 十人の著名人による、四段組の短いエッセイ。同時に短歌、俳句、詩も掲載される。
- 丸の内コンフィデンシャル 経済、金融、実業家の情報。無記名。
- 霞が関コンフィデンシャル 官僚、政治家の情報。無記名。
- 文春LOUNGE カラー写真で様々な最新の流行、賞品を紹介。アンケートもある。官製はがきにその回答を書いて編集部に郵送すると抽選で30名に、出版社にゆかりのある小説家の写真を使用した、非売品の特製図書カード3000円分が贈呈される。
- 新聞エンマ帖 無記名の新聞批評。「朝日新聞」、「読売新聞」、「毎日新聞」、「産経新聞」、「東京新聞」、「日本経済新聞」を、厳しく批評する。
- 映画漫歩 無記名の映画批評。四本の最新作を大変に丁寧に解説する。
- 蓋棺録 最近亡くなった有名人五人を紹介。
- 社中日記 無記名の日記。編集部での失敗談、笑える話、面白い話を面白おかしく紹介。全て事実なのか、一部脚色されているのか、全て創作なのか、真偽は不明。
[編集] 連載中
- 装画 平松礼二。
- 巻頭随筆の中でも、以下は特別に連載である。
- 鼎談書評 福田和也&鹿島茂&松原隆一郎。鼎談形式の書評。
- 私の東大論 立花隆。東大を論じる評論。
- 三国志 宮城谷昌光。
- 運命の人 山崎豊子。
- 人声天語 坪内祐三。社会時評。
- ザ・ハウス・アブ・トヨタ 佐藤正明。
[編集] 連載終了
- 巻頭随筆の中でも、以下は特別に連載であった。
- 「この国のかたち」 - 司馬遼太郎。日本歴史論。本誌の長い歴史の中でも、最も人気のあった連載。司馬の急死により突然の終了を迎えた。
- 自伝
- 評論
- 「笑わぬでもなし」 - 山本夏彦。
- 小説
[編集] 来歴
1974年11月特別号で、田中健五編集長は「田中政権を問い直す」という特集を組み、立花隆の「田中角栄研究-その金脈と人脈」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」の2つの論文を掲載する。これが田中角栄の内閣を退陣へと追い遣るきっかけになった。
1990年12月号に「昭和天皇の独白8時間 太平洋戦争の全貌を語る」を掲載。話題を呼び、売り上げは100万部を突破。その後「昭和天皇独白録」(文春文庫)として出版された。
2005年12月号に「『バターン死の行進』女一人で踏破」の記事をめぐって「歴史を誤って伝えるものである」としてユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から抗議を受けた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 文藝春秋 公式サイト