御年寄
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御年寄(おとしより)は江戸時代の大奥女中の役職名で、老女と呼称される事もある。大奥内で最も政治的権力を持っていた役職である。また、大奥総取締という呼称もあるが、これは歴史小説やテレビドラマなどで作られた言葉である。他にも大年寄という呼称が御年寄筆頭を指すともされるが、実際に使われていた言葉であったかどうかは謎である。
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[編集] 職務と立場
御年寄は幕府の老中に当たる役職で、大奥の公務一切を仕切っていた。合計で7人の御年寄が月番交代で職務に当たっており、大奥での大小様々の事柄を合議制にて取り決めていた。実際に彼女たちが動き回る事はなく、大抵の場合は大奥御殿部分にある詰め所「千鳥の間」で一切の指揮を執っていた。規律にはとても厳しく、将軍でさえも恐れる存在であったという。江戸時代後期には御年寄の中で御用掛という役に就く者があり、表向の役人の相談に乗ることが役目であった。また将軍の側室に御年寄上座格が与えられる事も多々あったが、実際にその実務に就くわけではなく、給与面などの待遇のみの昇格であった。御年寄は奥の公務の他に、大名に将軍のメッセージを伝える役目も担っており、老中たちと内密に結びつくことも多く、政治的な権力を持っていた。まさに江戸時代の男性優位社会にあって、唯一政治に関与することが可能な職務だったと言える。そういう背景もあってか、将軍夫人の御台所を差し置いて、大奥の最高権力者と成り得るポジションだった。ちなみに御年寄の権威も、どの主に仕えているかによって異なるが、格式、権威共に将軍付の御年寄の方が上である。
[編集] 格式
女中たちの宿舎である長局の中で、最も格式の高い「一の側」が御年寄や上臈の住居だった。「一の側」には一階だけでも十部屋ほど用意されているほか、厠、湯殿、台所なども付いていたという。お禄(給料)は主に「合力金」、「切米」、「炭」、「五菜銀」などがあり、土地や地代も与えられた。また外出の際の格式は十万石相当のものだった。その他にも「部屋方」という使用人を雇う事も許されており、大体十数名ほどを抱えていたという。
[編集] 上臈御年寄との違い
御年寄は奥向きの一切を取り仕切る身であるとはいえ、大奥女中の位からすれば第二位にあたり、最高位には上臈御年寄という役職が置かれていた。上臈御年寄は定員2名で、御台所の輿入れに同伴してきた公家出身の女性が就いた。その主な役目は、将軍や御台所の御用だが、公家出身というだけあって京風、朝廷のしきたりに詳しいため、儀式や催しを取り仕切る式部官であった。このように、御年寄とは役職の面において大きな違いがあるが、大奥女中最高位であるという事、役職名に御年寄と入っている事などから、御年寄と混同されがちである。
[編集] 主な御年寄
[編集] 関連項目
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