岩手県立盛岡北高等学校
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岩手県立 盛岡北高等学校(いわてけんりつ もりおかきたこうとうがっこう)は、岩手県岩手郡滝沢村にある高校。平成16年に、創立30周年を迎えた。略称は北高(きたこう)、盛北(もりきた)。昭和50年に盛岡市から岩手郡滝沢村に移転し、現在所在地と校名は不一致。
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[編集] 概要
岩手県を代表する進学校の一である。岩手県教育委員会が進める高校改革で定員削減を受け、1学年280名となった(平成18年度)。進学実績向上のために「0校時」を実施していた時期あり、「過酷なガリ勉」印象の定着で志願者減に遭ったが、近年0校時は実施されず、イメージの克服もあって、これは急速に回復している。(参考:平成18年度入試では、280定員に対し370名出願(倍率1.33倍)=岩手日報Web
[編集] 校訓
- 師弟和熟(していわじゅく)
- 引用:「其レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本ナリ」(夏目漱石)
[編集] 校章
校名に「北」を戴くことに由来して、カシオペア座形を図案化したものである。福田隆氏(盛岡一高教諭(当時))のデザイン。彫の深いデザインは、本の厚み=学の深さを表すとされる。同校生徒からは、単に「カシオペア」と呼ばれており、生徒手帳には、校章と共に「希望は星の如く、空が暗いほど光を増す」(米国開拓期の行政官ウィンスロー)と掲載されている。なお同校では、歴史上の人物の名言を記した「カシオペアカード」が定期的に配られる。
[編集] 校歌
高名な詩人の作詞とあって「希望を感じる歌詞」「荘厳」との評価が多いが、生徒の中には「暗澹としている」「あたかも敗戦歌」(創立20周年時の生徒会アンケートより)といった意見もある。メジャーコードが用いられているラスト以外は、コードにマイナーコードが多く用いられ、吹奏楽演奏などのテンポも遅く設定されており、これが「荘厳」と「暗澹」の評価の分かれ目とみられる。同校webサイトに歌詞の掲載があるほか、メロディーも聴くことが出来る。なお、谷川氏は、同校30周年記念式典に出席し、生徒との詩の交流を行っている。校章・校歌のページ=同校サイト(校章・校歌の歌詞・メロディなど)
[編集] 制服
- 冬服
男子は、黒の学生服。ボタンに校章入り。女子は、紺のセーラー服に、スクールカラーの青のスカーフを巻き、秋~春にかけて、女子のほぼ全員が黒タイツを着用する。
- 夏服
男子は、ワイシャツに黒のズボン。ネクタイ等は用いない。女子は、白のセーラー服、同じく青いスカーフに、紺のスカート。男女とも、長袖・半袖の別は自由。
- 学年カラー
青・赤・紺の三色。ただし、学年毎に定色がある訳ではなく入学時に割り当てられた色を3年間通す。この色は、体育用のジャージ、校内用のシューズ、通学用自転車のステッカーに共通して用いられる。
[編集] 設立の経緯
昭和48年12月、従来の高校入学難緩和に応えるものとして設立が決まり、わずか4ヵ月でスピード開校した。開校がいかに急であったかを示す逸話として、開校当時同校で使われた公文書等には、まだ同校のロゴ入りの書類用紙等が印刷できていなかったため、他校のロゴが入った公文書が使われていたという。
[編集] 校名の由来
盛岡広域5校目の全日制普通科高校のため、当初は盛岡第五高校となる予定だったところ、校名に数字を冠すると、暗黙に学力レベルが決まる懸念があったため、「北高」とされたといわれる。
略称は北高きたこう(盛岡広域)、盛北もりきた(全県域)。呼び名の違いは、花巻北高、黒沢尻北高など、県内に複数存在する北高との区別のため。
[編集] 校舎
設立を決定してから開校までの期間が4ヶ月と極めて短かったため、校舎の用地買収が整わないまま開校。結果、校名が「盛岡北」、校舎の所在地が「岩手郡滝沢村」となった。設計期間の短縮のため、当時建替え中だったの他校の設計図をそのまま使用している。なお、開校式と、校舎完成までの授業は盛岡市上田の岩手県立杜陵高等学校で。
[編集] 学校生活
[編集] 学習
かつて、朝6時~最大で18時頃まで授業を実施していた経緯があり、「ガリ勉」「拘束時間が他校の比でない」と言われたが、現在は改善されている。ただし、次の事例について、拘束時間の長さは依然改善されていないとの意見がある一方、「予備校のない地方の進学校であり、やむを得ない」との意見もある。
- 月・水・木曜日には、授業が7校時まで。
- 3年間を通じて、膨大な週末課題がある。
- 3年生について、6月頃からセンター試験まで毎日、授業が8校時(18時頃)まである。
- 土曜日に「土曜講座」を年13回実施しており、完全週五日制が骨抜きに。
- 長期休暇(夏・冬・春休み)毎に長期の課外授業が組まれており、大半の日数は登校しなければならない。
- 学習目標(スローガン)
- 「授業が命、継続が力」というスローガンが、校舎内に掲げられている。
[編集] 通学
ほとんどの生徒が自転車通学。朝の通学時間に、学校に通じる片側一車線道路「国分通り」が混雑するため、学年毎に通学時間をずらす「時差通学」を実施している。
- 自転車通学(盛岡市主要部、滝沢村)
生徒の90%以上がこれに当たり、自転車通学が一般的である。
- 電車通学(それ以外の地域)
盛岡市玉山区、八幡平市から通学してくる生徒は、IGR厨川駅までは電車、そこから自転車で通学するのが一般的である。下閉伊郡周辺から通学する場合は、JR山田線で盛岡駅に向かい、その後は路線バスで通学する例もある。
- バス通学(地域によらない)
冬季は降雪のため自転車通学ができず利用者が急増するため、同校生のためにバスが増発される。路線は、盛岡北高線。
[編集] 特別活動
ラグビー部、写真部、書道部、美術部などが、近年の大会で上位入賞したり、全国大会に出場している。そのほかの生徒会活動も活発で、視聴覚委員会などは、放送の大会で全国大会に出場し、最優秀賞を取得した事がある。
[編集] 生徒会活動
毎年、選挙された生徒会役員(会長1・副会長2・書記長1・書記次長1・会計3・庶務(定数不定)・議長3)で執行部(11人前後)=議長除く=を組織し、生徒会事務の大半を執行する。年間1000万円あまりの予算の編成執行は、完全に生徒で管理される。また、執行部が数週間おきに発行している生徒会報北峰(ほくほう)は、同校の学校新聞扱いを受けている。年度末には、編集委員会が生徒会誌カシオペアを発刊し、生徒会誌コンクールなどでしばしば最優秀賞を獲得している。
同校の文化祭である盛北祭(せいほくさい)、校内体育大会などは、各委員会・部活・教職員・外部企業の協力を得て、執行部が運営する。また、執行部情報交換会として、毎年1回、他校生徒会との会合を主宰している。
[編集] 部活動
- 陸上部
- 体操部
- 体操競技(男女)、新体操競技(現在のところ女子のみ)を有する。
- 水泳部
- サッカー部
- 柔道部
- ソフトテニス部
- テニス部
- 剣道部
- 卓球部
- ラグビー部
- バドミントン部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- ソフトボール部
- 野球部
- 吹奏楽部
- 音楽部
- 書道部
- 美術部
- 演劇部
- 写真部
- 化学部
- 生物部
- 地学部
- 物理部
- 家庭研究部
- 茶華道部
- 国際理解同好会
- 文芸同好会
[編集] 応援団
かつては、バンカラの応援団が存在したが、入団希望者の減少により、応援団を廃止。現在は、各学級の委員互選による応援委員会を発足させた。
[編集] 進路情報
中規模地方都市の、歴史の浅い公立高校としては好調な進路実績を持ち、その実績は、例年大学進学情報を特集する週刊誌サンデー毎日(毎日新聞社刊)、週刊朝日(朝日新聞社刊)に、「地方大学に強みを効かせる、隠れた名門校」として取り上げられたことがある。理系の生徒が、文系の生徒よりも若干多く、進学実績にもそれが反映されている。
毎年、合格体験記集師弟和熟を発行し、関係者に配布している。本書は、上級学校に進学し、もしくは公務員や一般企業に就職することが出来た生徒が、合格に至るまでの経緯を後輩に書き示すためのものである。進路実績=同校サイト
[編集] 国公立大学
ほとんどが国公立大学に進学している。岩手大学や岩手県立大学、その他東北周辺の国公立大学などへの進学が特に顕著。このほか、東北大学や北海道大学など、旧帝大に進学する生徒も若干いる。1年次から行われる小論文の指導は全国的に有名で、そのためか国公立大学の推薦合格者は常に県内トップクラスである。
[編集] 私立大学
少数ながら、私立大学への進学者も存在する。いわゆる早慶や関関同立、MARCHへの進学のほか、盛岡大学、東北学院大学などへの進学が多い。全国の私立大学への指定校推薦枠がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
岩手県交通(バス路線盛岡北高線の時刻表など)
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