宇都宮藩
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宇都宮藩(うつのみやはん)は、下野国宇都宮周辺を支配した藩。
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[編集] 歴史
戦国時代、宇都宮は下野一之宮(宇都宮二荒山神社)の神職者であった藤原北家道兼流で開祖・下毛野君の流れをくむとされる宇都宮氏の支配下に置かれていた。宇都宮氏は「関東八家」の一つに数え上げられた関東の名門であり、鎌倉時代・室町時代には下野国守護・上野国守護・越後国守護・下総国守護・伊予国守護なども歴任し、一門は大いに栄えた。宇都宮氏は常に中央政府の統治機構としてこの地の治安維持に務めた。室町時代後期、鎌倉府・足利氏と関東管領・上杉氏が抗争の末その勢力が弱まった後も、宇都宮氏は常陸国の佐竹氏とともに、関東に台頭した北条氏を牽制し、戦国時代には戦国大名に名を連ねるようになった(26万石)。1590年には豊臣秀吉が小田原征伐に乗り出し、これに参陣して北条氏を討伐した。しかし太閤検地に際して浅野長政から石高詐称を訴えられ、1597年備前国に配流されてしまった。その後、国綱は宇都宮家再興を目指して努力したが、結局、それが報われることはなかったのである。
宇都宮家改易後は、浅野長政や蒲生秀行(18万石)、奥平家昌(10万石、徳川家康の外孫)が治めた後、徳川家康の腹心・本多正信の長子で謀将の本多正純(16万石)が入って宇都宮を再構築したが、宇都宮城釣天井事件の咎で改易。その後は奥平氏の再封、松平氏、3度目の奥平氏、阿部氏、戸田氏(8万石)らが入れ替わり藩主となり、幕末を迎えた。
戊辰戦争の折、宇都宮藩(藩主は戸田忠恕)は新政府方として動いたが、大鳥圭介や新撰組の土方歳三が率いる旧幕府軍の攻撃を受け、宇都宮城をめぐっての攻防戦が行われた。最終的には物量に勝る新政府軍が旧幕府軍を追討したが、この際の戦火で宇都宮城をはじめ、宇都宮二荒山神社など、宇都宮城下の主な建築物は焼失してしまった(宇都宮戦争)。
1871年、廃藩置県によって宇都宮藩は廃止され宇都宮県が設置されたが、さらに翌々年の1873年、栃木県に編入された。
詳細は宇都宮市の項も参照。
[編集] 藩史
宇都宮は有史以来、北関東の軍事・交通の要衝であったが、徳川家康が没して日光東照宮が造営され、これが家康の廟所となると、宇都宮城は将軍が墓参するための宿泊地となり、その重要性は著しく高まった。また下野国は古来より地勢が安定しており、その中心地であった宇都宮には譜代中の譜代の家臣が入封した。
まず、関ヶ原後は徳川家康の外孫である奥平家昌が10万石で入封した。家昌の父は奥平信昌、そして母は家康の長女・亀姫。つまり、家昌は家康の孫に当たるのである。1614年、家昌が38歳で若死にし、その後を子の奥平忠昌が継いだが下総古河藩へ移封された。
代わって家康の腹心であった謀将・本多正純(本多正信の子)が小山藩3万石から加増され16万石で入封した。正純は幕府の意向に従って宇都宮藩の藩庁・宇都宮城の縄張りを拡張し、さらに改修を加えてこれを近代城郭としたが、その3年後の1623年、出羽国山形藩の最上氏改易後に使者として向かう途中で、逆に自身が改易されてしまった。
本多正純改易後は、古河藩に移されていた奥平忠昌が11万石で再封。忠昌の子・奥平昌能の頃に不祥事「興禅寺刃傷事件」の責めを受け、山形藩へ9万石の減石移封。入れ替わりで松平忠弘(奥平忠昌の従兄弟)が15万石で入るが、陸奥国白河藩へ移封。入れ替わりで本多忠平が11万石で入るが、大和国郡山藩へ移封。昌能の養嗣子・奥平昌章が9万石で入り、子の奥平昌成が継ぐが、丹後国宮津藩へ移封。入れ替わりで阿部正邦が10万石で入るが、備後国福山藩へ移封。越後国高田藩より戸田忠真が7万石で入り戸田忠余・戸田忠盈と3代続くが、肥前国島原藩へ移封。入れ替わりで松平忠祇が7万石で入るが、松平忠恕の代に再び島原へ戻された。
そして、入れ替わりで戸田忠寛が8万石で入ることで、ようやく藩主家は戸田氏の支配で安定する。戸田氏第5代藩主・戸田忠明は藩政改革を行なって幕末を迎えた。戸田氏はその後、戸田忠恕、戸田忠友と7代続いて明治時代を迎えた。
[編集] 歴代藩主
[編集] 宇都宮(下野)家
- 下野宇都宮氏を参照。
[編集] 蒲生家
[編集] 奥平家
10万石(譜代)
[編集] 本多家
15万5000石(譜代)
- 本多正純(まさずみ)従五位下。上野介。本多正信の長男。
[編集] 奥平家
11万石(譜代) 再封。
[編集] 松平(奥平)家
15万石(親藩)
[編集] 本多家
11万石(譜代)
[編集] 奥平家
9万石(譜代)
[編集] 阿部家
10万石(譜代)
[編集] 戸田家
6万7000石→7万7000石(譜代)
[編集] 松平(深溝)家
6万6000石(譜代)
- 松平忠祇(ただまさ)従五位下。主殿頭。松平忠刻の長男。
[編集] 戸田家
7万7000石(譜代)
- 戸田忠寛(ただとお)従四位下。因幡守。侍従。戸田忠余の五男。
- 戸田忠翰(ただなか)従五位下。能登守。戸田忠寛の長男。
- 戸田忠延(ただのぶ)従五位下。日向守。戸田忠翰の三男。
- 戸田忠温(ただはる)従四位下。山城守。侍従。戸田忠翰の五男。
- 戸田忠明(ただあき)従五位下。因幡守。戸田忠温の三男。
- 戸田忠恕(ただゆき)従五位下。越前守。戸田忠温の七男。
- 戸田忠友(ただとも)従五位下。土佐守。戸田忠偲の長男。
[編集] 関連項目
- 所縁の地
- 同族大名(主に領有した藩地を表示)
- その他