堀江謙一
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堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年9月8日 - )は、海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)。大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。関西大学第一高等学校卒業。アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。
1962年マーメイド号による、太平洋単独航の成功時は、あまりにも奇跡的な快挙であったため、石原慎太郎から成功を疑問視する声が掛けられたが、直にそれが単なる石原の嫉視にすぎない事がわかる。また密出国を批判する声もあったが、堀江の偉業が認知されるにつれてその声は小さくなった。 2004年からヨット「SUNTORY マーメイド号」で単独無寄港による世界一周(東回り)に挑戦し、2004年10月に兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーから出発していたが、2005年6月に新西宮ヨットハーバーに無事帰還を果たした。東西両方向周りで世界一周航海をしたのは日本人初、世界でもオーストラリア人に次ぎ2人目という偉大な記録である。 更に挑戦は続き、69歳になる2008年春には、波の力だけを動力にした船「波浪推進船」(速さは約3ノット、2007年4月完成予定)で、約6000Kmある紀伊水道-ハワイ間の世界初の航海に挑戦すると発表した。このタイプの船は1988年に大学の船を改造し、海上実験は成功しているが、活用の機会が無く、お蔵入りになっていた。航海は年齢が「三桁になるまでやるつもり」と語っている堀江謙一は、根っからの「冒険野郎」であると言えよう。
[編集] 冒険の歴史
- 1962年:「マーメイド号」で単独太平洋横断航海する。
- 1974年:単独無寄港で世界一周航海する。
- 1982年:縦回りで世界一周航海する。
- 1985年:ソーラーパワーボートでハワイ~父島間航海する。
- 1989年:太平洋横断では世界最小(全長2.8m)のヨットでサンフランシスコ~西宮間を航海する。
- 1992年:足漕ぎボートで、ハワイ~沖縄間を航海する。
- 1996年:アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボートでエクアドル~東京間を単独無寄港太平洋横断する。
- 1999年:生ビール樽を利用したリサイクルヨットでサンフランシスコ~明石海峡大橋間を横断する。(“20世紀最後の太平洋一人ぼっち”航海)
- 2002年:「モルツマ-メイド3号」で、再び西宮からサンフランシスコに向けて太平洋を横断する。(“21世紀最初の太平洋一人ぼっち”航海)
- 2004年:再び「サントリー・マーメイド号」で単独無寄港で世界一周航海に挑戦。2005年6月無事世界一周を達成した。
尚、エクアドル政府は1996年の航海の成功を讃え、1997年にガラパゴス諸島にある島と岬に「堀江謙一船長岬」、「モルツマーメイド島」と命名した。
[編集] 書籍
- 「太平洋ひとりぼっち」(舵社)
- 「世界一周ひとりぼっち」(立風書房)
- 「妻と最後の冒険」(朝日新聞社)
- 「太陽で走った」(朝日新聞社)
- 「海を歩いて渡りたい」(TBSブリタニカ)
- 「太陽に賭ける」(ベネッセコーポレーション)
マーメイド号での太平洋横断記録「太平洋ひとりぼっち」は石原裕次郎の主演で映画化(1963年)されて、大ヒットとなった。(同年、菊池寛賞を受賞)