国際勝共連合
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国際勝共連合(こくさいしょうきょうれんごう、International Federation for Victory Over Commuinism)は反共の政治団体・右翼団体。 「統一教会(統一協会)」の教祖、文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月、日本で創設した。日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己。名誉会長は笹川良一であった。通称は「勝共連合」または「勝共」。機関紙として『思想新聞』、月刊誌『世界思想』を発行。関連会社の「世界日報社」が日刊新聞、『世界日報』を発行。
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[編集] 設立経緯
国際勝共連合 は「統一教会」(統一協会)の教祖、文鮮明が共産主義思想の誤りを啓蒙し、代案を示し、その打倒を目指すために創設した団体であるという。 国際勝共連合が創設された1970年代は東西冷戦の真っ只中であった。共産主義 勢力の拡大を防ぐために、ベトナム戦争に介入したアメリカに対する反戦運動が高まるなど、世界的に共産主義運動が高まっていた。北朝鮮は1968年1月、武装ゲリラをソウルに侵入させ、大統領官邸襲撃事件を引き起こしたり、アメリカの情報艦「プエブロ」を拿捕するなど、朝鮮半島情勢は緊迫していた。日本でも学生運動が過激化し、大学紛争が多発していた。そのような情勢の中で、「勝共運動」は、韓国において 共産主義運動を取り締まる「反共法」を制定するなど、反共を国是とした朴正煕(パク・チョンヒ)政権の政策に呼応したものであった。日本での設立には、日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけるアメリカの対日政策の転換により、戦犯不起訴となり、復権された岸信介、吉田茂 、右翼との関係の深い笹川良一、児玉誉士夫らの協力を得たと見られている。
[編集] 統一教会との関係
「統一教会」(統一協会)は国際勝共連合を対外的には“友好団体”と説明しているが、歴代会長の全員や役員の多くは、統一教会の幹部であり、活動する会員も多くは「統一教会」(統一協会)の信者であることから、国際勝共連合は統一教会の事実上の下部組織である。1977年1月21日に、「統一教会」(統一協会)幹部らが、外国為替及び外国貿易管理法違反容疑で起訴された神戸での裁判では「(国際勝共連合は)その思想と活動方針の発祥地は韓国であること、従って、「統一教会」(統一協会)と国際勝共連合は、団体としては別個のものではあるが、思想的には相連結するところがあって、「統一教会」(統一協会)の代表役員(会長)である久保木修己が、同時に勝共連合の会長の地位に就き、前記のように被告人石井が「統一教会」(統一協会)と勝共連合勝共連合の渉外、財務の職責を兼ねて担当し、・・・」と判断されている。
[編集] 協力関係
国際勝共連合 は日本では自由民主党の有力な支持団体の一つで、会員を国会議員、秘書として送り込んでいると言われる。1986年、1990年、1993年の衆議院選挙で旧大阪3区から出馬(1990年は自民党公認)し、落選した阿部令子は渡辺美智雄の元秘書で、会員だった事が確認されている。1984年に『「世界日報』を追放された「統一教会」(統一協会)の元幹部、副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、久保木修己会長が「天皇陛下の身代わりとして文鮮明に拝礼する秘密儀式がある」と暴露したことで、反共主義、「愛国」的な姿勢を評価して協力的であったが右翼や民族派が反発し、関係を絶った者が多数出た。
また、日本最大規模の保守系・民族派系の政治・言論団体、「日本会議」のメンバーに「勝共連合関係者が多いという指摘がある。[1]
[編集] 活動
国際勝共連合 は共産党と共産主義の欺瞞と間違いを明らかにすると主張しており、創設直後から共産主義者同盟、共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派など共産主義系の組織に対抗した活動をしていた。 その主張から世界各国の反共・保守派要人と交流を持つ。「憲法改正」や日本の核武装化を主張する。[1]国家秘密法(スパイ防止法)の制定推進に熱心であり、「スパイ防止法制定促進国民会議」を組織した。冷戦終結により、国家体制としての共産主義は終焉したが、共産主義は家庭的次元において、過激な性教育や、ジェンダーフリーなどに姿を変えて、日本の伝統基盤を根底から崩壊させようとしているとして、これらに対する批判を展開している。
[編集] 沿革
- 1967年
- 7月 山梨県の本栖湖畔の「全国モーターボート競走会連合会」の施設に日韓両国の反共首脳が集まり、「第一回アジア反共連盟結成準備会」を開催。「世界基督教統一神霊協会」(統一協会)から教祖、文鮮明と劉孝之(ユ・ヒョウジ)、日本側は笹川良一、児玉誉士夫代理の白井為雄、市倉徳三郎らが集まり、反共団体設立に向けて会合を持つ。 [2][2]
- 1969年
- 朝鮮大学認可取り消し運動を展開。
- 1973年
- 全国124カ所で久保木修己会長が「救国の予言」と題して講演。『国際勝共新聞』を『思想新聞』に改題。アメリカで国際指導者セミナーを開催。
- 第3回アジア勝共大会を開催。
- 1974年
- 日本各地で自主憲法制定国民大会を開催。
- 1978年
- 「スパイ防止法」制定3000万人署名国民運動を展開。
- 4月8日発行の『思想新聞』の「号外」で、京都府知事選の候補者、杉村敏正に対し、「やっぱり杉村氏は極秘党員か」、「杉村敏正氏の華麗なる前歴」、「学者の仮面かぶる活動家」、「表面紳士 一皮むけば人殺し」などと批判。選挙前日のこの日の夜、京都市内で、民主府政推進各界連絡会の街頭演説が終了直後、300名のほどの集団が押し寄せ、国際勝共連合の宣伝カー2台が 日本共産党の宮本顕治と知事候補の杉村敏正を「人殺し」などと批判し、双方が乱闘寸前になる。警察官が国際勝共連合の6名を事情聴取。その後、告訴が提出される。[4]
- 4月21日 『思想新聞』に「京都決戦勝利の記録」と題し、全戸ビラ配布体制にはいること、勝共連合会員が徹夜でビラを配布していることなどを掲載。
- 京都府知事選において、引退を表明をした蜷川虎三の後継者、日本共産党の杉村敏正(当時は京都大学教授)を地元出身の自民党参議院議員、林田悠紀夫候補が破り、京都で7期28年間にわたり続いた革新府政が幕を閉じる。
- 6月1日 国会で、日本共産党の正森成二が国際勝共連合 の京都府知事選における選挙妨害等について質問。[4]
- 日中平和友好条約反対キャンペーン
- 「スパイ防止法」制定促進国民会議の設立に韓国参加。都道府県会議を全国で設置し、地方議会における同法案制定請願運動の先頭に立つ。
- 1979年
- 「スパイ防止法」制定促進国民会議を発足。
- 1984年
- 日韓安保セミナーを開催。両国の勝共支部が姉妹結縁を行う。勝共会員700万人を達成。
- 6月10日 『世界日報』の路線の対立で、追放された副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、久保木修己会長が、天皇陛下の身代わりで、文鮮明に拝礼する秘密儀式があると暴露したことで、勝共連合 を反共運動の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し、久保木会長に質問状を出す。3ヶ月後に久保木は、副島手記の内容を否定する回答をした。「平和と安全を守る七大都市大会」の大阪大会では、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、「大会粉砕」を訴えた。
- 第1回日韓安全保障セミナーを開催。
- スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会を発足。
- 1988年
- 「日韓安保セミナー」参加者が1万人を突破。
- 1991年
- 日朝交渉中止を訴える『思想新聞』号外100万部を全国で配布。
- 1992年
- 中国視察ツアーを開催。
- 統一協会の機関紙『中和新聞』平成4年(1992年)9月12日号は、共産党および社会党が国際勝共連合の推進する「スパイ防止法」制定運動の資金源が統一協会であると誤認し、教会攻撃のために引き起したのがいわゆる”霊感商法問題”」だと説明。
- 1995年
- 8月 世界平和連合(FWP)を創設。会長は統一協会の会長でもあった小山田秀夫。創設大会にはアレクサンダー・ヘイグ元米国務長官らをはじめとする世界51ヶ国、約250名の元・現国家元首・政府高官、科学者、宗教家、ジャーナリストらが参加 。
- 1996年
- 3月 日本において「世界平和連合」(FWP)設立大会を開催。
- 「世界平和連合」(FWP)会長に久保木修己が就任。
- 「青少年問題セミナー」、「自衛隊演習視察ツアー」を開催。
- 1997年
- 全国で「世界平和連合」(FWP)都道府県連合会を設立。
- 自主憲法制定国民大会に参加.。
- 2000年
- 大塚克己会長が全国22カ所で講演。
- 日本共産党批判ビラを全国で配布。
- 2001年
- 統一協会の会長の小山田秀生が新会長に就任。
- 「救国救世全国躍進大会」を開催.
- 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
- 6月 機関紙の『思想新聞』六月号外で、「小泉改革の最大の抵抗勢力 それは、日本共産党」、「小泉首相に『構造改革』をやらさせず(原文のママ)、日本経済を沈没させ、共産革命の機会をうかがっている」などと批判。
- 2002年
- 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
- 2003年
- 「救国救世全国役員総決起大会」を開催.
- 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
- 各地で映画「暗号名・黒猫を追え!」上映会を開催。
[編集] 賛同的な人たち
- 大蔵雄之助(元TBS記者・東洋大学教授、杉並区教育委員、「異文化研究所」代表)杉並区教育委員会で「新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の採択に中心的な役割を果たした。世界日報に主筆格でたびたび執筆。
- 戸澤眞(明治神宮崇敬会理事長)「勝共連合」元顧問
- 安藤豊禄(元小野田セメント社長、日韓経済協会初代福会長)「勝共運動」をよい運動と評価。
- 井上順理(鳥取大名誉教授、兵庫教育大名誉教授) 「共産主義者に対して真正面から立ち向かい、反撃できる理論は、この勝共理論しかないだろう」と「勝共理論」を評価。
[編集] 参考文献
[編集] 賛同的文献
- 木下義昭、早川一郎(編著)『「新日本共産党宣言」の正しい読み方』世界日報社 1999年 ISBN 4882010682C0031
- 木下義昭、早川一郎 『日本共産党「政権参加」近し!』世界日報社 1988年 ISBN 4882010666 C0031
- 大塚克己(編著)『共産主義を崩壊させた人びと』世界日報社 1999年 ISBN 4882010690 C0031
- 久保木修己 『美しい国 日本の使命―久保木修己遺稿集』世界日報社 2004年 ISBN 488201081X
[編集] 批判的文献
- 日隈 威徳(ヒグマタケノリ) 『勝共連合』新日本新書 1984年 9月 ISBN 4406010769 (日本共産党の参議院議員であった著者が書いた。)
- 日本共産党(編)『裁かれる国際勝共連合』日本共産党中央委員会出版局 1979年4月
- 荒井荒雄『悪魔(サタン)があやつる“スパイ防止法”と霊感商法』青村出版社 1987年 ISBN 4880960098 C0014
[編集] 註
- ↑ k2 第109回国会 文教委員会 第2号 昭和63年(1987年)8月25日
- ↑ 文鮮明の側近、朴普煕と親交のあったユナイテッド航空のロランドのフレーザー委員会での証言
- ↑ 2001年6月29日 札幌地裁判決抜粋
- ↑ 4.0 4.1 k1 第084回国会 地方行政委員会 第24号 昭和53年(1978年)6月1日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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