国鉄戦後五大事故
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国鉄戦後五大事故(こくてつせんごごだいじこ)とは、公共企業体日本国有鉄道が存在した1949年(昭和24年)6月~1987年(昭和62年)4月の間にその営業鉄道路線・航路で発生した、死傷者の多い5つの事故の総称である。
[編集] 五大事故の概要
- 桜木町事故 ― 1951年(昭和26年)4月24日、東海道本線、(通称・京浜線、現・根岸線)桜木町駅構内で、工事作業を誤り垂れ下がった架線に列車が接触したことで発生した車両火災。死者106人、負傷者92人。
- 洞爺丸事故 ― 1954年(昭和29年)9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(洞爺丸台風)にあおられ沈没。原因の一つには運行管理者の判断ミスがあった。他にも貨物船の「日高丸」・「第11青函丸」・「北見丸」・「十勝丸」が沈没し、「洞爺丸」だけで1155人が死亡、全体での死者は1430人に及び、戦争が原因のものを除けば当時はタイタニック号・サルタナ号の事故に次ぐ世界第3位の、2005年現在でも世界第4位の海難事故となった。
- 紫雲丸事故 ― 1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船の「第3宇高丸」と衝突し沈没、死者166人、負傷者122人。修学旅行中の小学生・中学生が多数死亡した事も世間の非難を買った。
- 三河島事故 ― 1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込み三重衝突に。死者160人、負傷者296人。
- 鶴見事故 ― 1963年(昭和38年)11月9日、東海道本線鶴見駅~新子安駅間で脱線した下り貨物列車に上りの横須賀線電車が衝突、その先頭車が下り横須賀線電車に突っ込み三重衝突となる。死者161人、負傷者120人。
これらのうち、東京近辺で発生した「桜木町事故」・「三河島事故」・「鶴見事故」の3つを「国電三大事故」と呼ぶこともある。「国電」は国鉄が運行した都市近郊電車の通称である。
[編集] 五大事故の影響・背景
これら事故は、いずれも自然災害のみならず人災要素が強いものであり、国鉄に対する世間の非難を集めた。桜木町事故・紫雲丸事故の時は、時の国鉄総裁がそれぞれ辞任している。
また、いずれの事故も戦後からの復興がほぼ終わり高度経済成長期に入った時に発生したものであり、戦後の急激な輸送量増加対策に追われ、安全対策がなおざりにされていた事も背景にあるとされる。
さらに、桜木町事故で乗客が外に逃げられない構造であった電車が被害を大きくしたとして、事故後に設けられた乗客が非常時にドアを開けられるようにした「非常用ドアコック」が、三河島事故ではそれによって乗客が逃げ始めていたところに電車が突っ込んだ事が被害を大きくした原因になったといった様に、一つの事故後の対策が別の事故の被害を大きくするといった例も発生した。
現在の鉄道・船舶の安全対策には、これら事故の影響で設けられたものが多い。
国鉄ではこれら五大事故のあと、自動列車停止装置(ATS)設置などの事故対策に取り組み、1983年(昭和58年)12月26日には「過去10年責任事故による旅客の死者なし」という、世界でもあまり例を見ない記録を達成した。