北野田駅
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北野田駅(きたのだえき)は、大阪府堺市東区北野田にある、南海電気鉄道高野線(りんかんサンライン)の駅。
快速急行以下の種別が停車する。区間急行は当駅以南各駅に停車する。
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[編集] 駅構造
待合室が上下各ホーム上に1箇所ずつ、売店が上り難波方面3・4番ホーム上にある。2005年9月中旬頃から上り難波方面ホーム、10月には下り高野山方面1・2番ホームの列車案内装置がフルカラーLEDタイプに交換され稼動している。
改札口は2箇所、出口は西口、東口の2箇所ある。西口は再開発ビル「アミナス北野田」とペデストリアンデッキで結ばれ、地上とのエレベータが設置されている。東口はライフ北野田店があるビルに直結している。2005年9月に新設された難波側の改札口には車椅子でも通れる自動改札やホームへのエレベータがあり、バリアフリー対応が図られている。2006年1月17日には改修前に券売機や駅長室があった場所にコンビニエンスストア「アンスリー北野田店」が開店した。
なお、2005年8月に、駅構内の建造物にアスベストが使用されたままむき出しの状態となっていたことが判明し、駅舎改装工事とあわせてアスベスト除去工事が行われたが、こちらは同年11月に完了した。
- のりば
- ■ 河内長野・橋本・高野山方面(待避線)
- ■ 河内長野・橋本・高野山方面(本線)
- ■ 堺東・新今宮・難波方面(本線)
- ■ 堺東・新今宮・難波方面(待避線)
難波側に下り線から上り線への渡り線があり、4番線から北野田駅折り返し列車が発着する。但し急行主体のダイヤに変わった2000年12月からは、折り返しのための渡り線は朝にしか使われていない(その後2005年10月のダイヤ改正で、2000年以前の急行・区間急行併用ダイヤに戻ったが、当時の北野田折り返しに相当する各駅停車は金剛折り返しになっている)。
[編集] 利用状況
2004年度の調査結果では、1日あたりの平均乗降客数は32326人。この数字は南海の駅全体では99駅中8位、高野線の駅(難波~岸里玉出間含む)としては42駅中7位である。
[編集] 駅周辺
駅周辺は、スーパーや商店街などがある商業地域で、西方には昭和初期に大美野田園都市として開発された住宅街が広がっている。駅西側は再開発事業が進められており、2005年2月には図書館などの公共施設や商業施設の入るビル「アミナス北野田」が完成した。駅西南には3棟の高層マンションが建てられた。
- アミナス北野田
- 堺登美丘郵便局
- ライフ北野田店
- ダイエー北野田店
- 大阪府立登美丘高等学校
- 大美野噴水 …駅より西方。8本の道路が集まるロータリーの中央にある。
- 野田城跡 …駅東南方。南北朝時代に野田荘の地頭をしていた野田正勝が築いた城の跡。
[編集] バス
駅西口にバスターミナルおよびタクシー乗り場があり、西区役所前、堺駅南口、富田林駅前方面などへの路線バスが発着している。かつて南海バスは折り返しにターンテーブルを使用していたが、仮バスターミナル供用開始に伴い2005年3月でターンテーブルの使用は廃止された。近鉄バスは駅前ロータリー乗り入れに伴い、折り返しに使っていた大美野バス停は2006年4月1日に休止となった。近時は堺市が編入した美原区(旧美原町)への路線が拡充されている。
- 南海バス(2006年3月12日改正)
[編集] 歴史
明治時代以前の北野田周辺は一面の田園地帯で、高野鉄道が1898年(明治31年)に大小路(現在の堺東)~狭山間を開業させた当時は、北野田駅は設けられなかった。大正時代になって北野田駅が開業。以後この地域は高級住宅地として開発が進む。
- 1914年(大正3年)8月7日 高野登山鉄道の駅として開業。
- 1915年(大正4年)4月30日 社名変更により大阪高野鉄道の駅となる。
- 1922年(大正11年)9月6日 会社合併により南海鉄道の駅となる。
- 19xx年 島式2面4線になる。改札口はホームの北端西側にあり、ホームとは構内踏切で結ばれていた。
- 1944年(昭和19年)6月1日 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
- 1970年(昭和45年)5月16日 橋上駅化。
- 2005年(平成17年)2月21日 西口ペデストリアンデッキ供用開始。
- 2005年(平成17年)9月21日 難波側改札口・ホームへのエレベータ使用開始。
[編集] 隣の駅
- 南海電気鉄道
- ■高野線(りんかんサンライン)