北海道炭礦汽船
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
略称 | 北炭 |
電話番号 | 03-3275-1901(代表) |
設立 | 1889年(明治22年)11月18日 |
業種 | 炭鉱、ガラスの輸入販売業 |
資本金 | 21000千円 |
売上高 | 非公表 |
従業員数 | 20名 |
外部リンク | http://www.hokutan-coal.co.jp/ |
北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせんかぶしきがいしゃ、Hokkaido Colliery and Steamship Company, Limited)は、かつて北海道で多くの炭鉱を経営し、現在、外国産の石炭やガラスの輸入販売事業を営む日本の株式会社である。北炭(ほくたん)と略される。北海道炭砿汽船、北海道炭鉱汽船、北海道炭鑛汽船などと(誤って?)記された資料もある。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。政商とよばれた萩原吉太郎会長も一時代を築いた三井の大立者として知られる。
1889年11月18日設立。本店は東京都中央区日本橋本町にあるが、2005年まで本店は中央区日本橋馬喰町にあった。かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であった。
[編集] 沿革
- 1879年 開拓使によって幌内炭鉱が開かれた。
- 1889年11月18日 堀基が中心となって北海道炭礦鉄道会社(ほっかいどうたんこうてつどうがいしゃ)が設立された。政府から現在の三笠市にある幌内炭鉱と、幌内・小樽間の官営幌内鉄道の払い下げを受け、また、集治監の囚人を使役できるなどの特権を与えられた。
- 1890年 現在の夕張市に夕張炭鉱を、現在の歌志内市に空知炭鉱を開いた。
- 1893年 夕張に真谷地炭鉱を開いた。
- 1896年 商法の施行に伴い北海道炭礦鉄道株式会社となった。
- 1902年 楓炭鉱開山。
- 1903年 万字炭鉱開山。
- 1906年 鉄道国有法に伴い、北海道の幹線鉄道約200キロメートルを国に売却し、現在の北海道炭礦汽船株式会社を名乗る。
- 同年 平和炭鉱開山。
- 1907年 英国企業と共同して室蘭市に株式会社日本製鋼所を設立。
- 1909年 室蘭市に輪西製鐵場(現在の新日本製鐵室蘭製鐵所)を建設。
- 1926年 石炭火力発電所である清水沢電力所を竣工。
- 1942年 所有していた船を、当時三井物産から分離された三井船舶(現在の商船三井)に譲渡し、海運業から撤退。
- 1958年3月 埼玉県戸田市に石炭化学研究所を設立。
- 1958年8月 北海道不動産株式会社(現在の三井観光開発)を設立。
- 1959年4月1日 STV札幌テレビ放送開局。
- 1963年 夕張鉱業所第三鉱を分離し新夕張炭鉱開山。
- 1965年2月 夕張炭鉱でガス爆発、62人が死亡。
- 1965年4月 石炭化学研究所を独立させ、北炭化成工業株式会社を設立。
- 1968年 平和炭鉱で坑内火災、31人が死亡。
- 同年 子会社として北炭商事株式会社(現在株式会社北商コーポレション)を設立した。
- 1975年 平和炭鉱閉山。夕張新炭鉱が営業出炭開始。
- 1975年11月27日 幌内炭鉱でガス爆発、24人が死亡。
- 1976年 万字炭鉱閉山。
- 1977年 夕張炭鉱閉山。
- 1978年 東京証券取引所第一部上場を廃止され、店頭管理銘柄となった。
- 1981年10月16日 夕張新炭鉱でガス突出・坑道火災事故が発生。最終的に93人の犠牲者を出す。
- 1981年12月15日 夕張新炭鉱を運営してきた子会社北炭夕張炭鉱株式会社が倒産。
- 1982年 夕張新炭鉱閉山。
- 1987年 楓炭鉱、真谷地炭鉱を閉山。
- 1989年 幌内炭鉱を閉山。
- 1995年2月6日 会社更生法の適用を申請し、事実上倒産。
- 1995年3月18日 空知炭鉱を閉山、石炭産業から撤退した。
- 2005年 更生会社から株式会社に復帰