光文社
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数々のベストセラーを生み出したカッパ・ブックスの成功は、新書版ブームのきっかけとなった。 『少年』により、戦後月刊少年漫画誌の黄金時代を作った。
『JJ』の創刊が、後年の女子大生向け月刊ファッション雑誌の隆盛に与えた影響は計り知れない。 現在は『JJ』のほか、24歳~28歳前後のOLが主たる読者層の『CLASSY』や、より若い世代(女子高生などハイティーン)向けの『bis』といった女性誌が人気を博す。
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[編集] 歴史
[編集] 創業の経緯
1945年、講談社は激震に見舞われていた。 太平洋戦争が終わり、出版業界内部は、戦争協力者への責任追及の声が激しくあがっていた。 戦前から活発な活動をしていた講談社は、その最大の標的となったのである。 当時の経営陣は、最悪の事態に備え、別働隊を組織した。それが光文社である。1945年11月のことであった。 しかし、責任追及の声は次第に弱まり、講談社はピンチを乗り切った。そのため光文社は、いわば梯子を外された状態になってしまったのである。
[編集] 神吉晴夫の台頭
光文社が出版界の第一線に躍り出ることが出来たのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫の手によってである。 神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていた。それによって、次々とベストセラーが出されていく。1951年「少年期」(波多野勤子)がその嚆矢であった。
そして1954年、「カッパ・ブックス」の創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻する。
など。青春出版社、KKベストセラーズ、祥伝社などとともに、新書ブームの一翼を担った。
また1959年には「カッパ・ノベルズ」を創刊。『点と線』(松本清張)『日本沈没』(小松左京)『悪魔の飽食』(森村誠一)などが送り出されている。
雑誌においても、1958年創刊の「女性自身」で女性誌ブームを起こし、1965年には「宝石」も創刊された。
[編集] 労働争議
順風満帆に見えた光文社だが、1970年に大きな事件が起こる。社長に就任していた神吉の経営手法に労働組合が反旗を翻し、労働争議が勃発したのだ。 神吉は後に退陣したが、争議は収まらず、沈静化したのは1977年のことであった。 この泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去ることになる。その中には、祥伝社やごま書房の設立に関わった者も含まれている。
[編集] その後
1980年代後半ごろから、文庫ブームのあおりを受けて「カッパ・ブックス」の売れ行きが落ち始める。それに伴い、主力は雑誌などにシフトしはじめている。 1975年「JJ」創刊。1986年「FLASH」創刊。
[編集] 現在の出版状況
[編集] 女性誌
[編集] 男性誌
- 「Gainer」
- 「BRIO」
[編集] 総合誌
- 「FLASH」
- 「小説宝石」
- 「GIALLO」
[編集] 書籍シリーズ
- 「光文社文庫」 エンターテイメント系。独特の手触りのカバーが特徴。
- 「光文社古典新訳文庫」
- 「カッパ・ノベルズ」
- 「光文社新書」 後発であったが、『最後の藩主』『オニババ化する女たち』『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『下流社会』などのヒット作が出ている。
- 「光文社ペーパーバックス」 ヒット作は『泥棒国家の完成』『内側から見た富士通』。ただし、本文中に英語を多用しているため「読みづらい」という声がある上、内容はどちらかというと悲観論を述べているものが多いため、批判もあるようだ。
- 「知恵の森文庫」
- 「火の玉ゲームシリーズ」
[編集] かつて発行していた雑誌
[編集] 主なベストセラー
- 1952年 壷井栄著『二十四の瞳』
- 1958年 松本清張著『点と線』
- 1967年 多湖輝著『頭の体操』
- 1973年 小松左京著『日本沈没』
- 1970年 塩月弥栄子著『冠婚葬祭入門』
- 1975年 松本清張著『砂の器』
- 1981年 栗本慎一郎著『パンツをはいたサル』
- 1982年 森村誠一著『悪魔の飽食』
- 1990年 石原慎太郎著『「NO」と言える日本』
- 1995年 浜田雅功著『読め!』
- 2004年 ガッツ石松監修『最驚!ガッツ伝説』
- 2004年 堀江貴文著『稼ぐが勝ち』
- 2005年 山田真哉著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』
- 2005年 荻原浩著『明日の記憶』
[編集] 補足
- 「カッパ・ブックス」などの「カッパ」は、神吉の「いかなる権威にも屈せず、《なんのへのカッパ》と自由な活動をしたい」という思いから名付けられた。
- 一般に光文社は「音羽グループ」と括られるが、一方の「一ツ橋グループ」と比べて親元・講談社との結び付きが弱い。書店向け注文サイトにおいて、「一ツ橋グループ」は1つのサイトに集約されているのに対し、光文社と講談社は別々であることからもうかがえる。
- 作家の小林信彦は、光文社を受験して面接で落とされたことがある。
[編集] 著名なOBOG
- ドイツ文学者、評論家の種村季弘(1933-2004)は、1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)まで光文社に在籍。「女性自身」編集部などに所属していた。
- 作家の高田宏。「少女」編集部に在籍。
- 映画評論家の増淵健
[編集] 外部リンク
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