信託統治
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信託統治(しんたくとうち)とは、国際連合(国連)の信託を受けた国が、国連総会および信託統治理事会による監督の下で、一定の非独立地域を統治する制度である。国際連盟における委任統治制度を発展させ、継承したもの。
国連の信託を受けて統治を行う国は、施政権者という。施政権者は、1国の場合が多いが、2国以上の共同でもよい。また、国連自身が施政権者となることも認められているが、実例はない。
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[編集] 信託統治地域
信託統治制度が適用される地域は、信託統治地域または信託統治領という。信託統治地域は、以下の3つの類型がある。
以下の11地域が信託統治地域とされた。括弧内が施政権者である。現在では、全て独立を果たしたため、信託統治地域は存在しない。
- 西カメルーン(イギリス)
- 東カメルーン(フランス)
- ソマリランド(イタリア)
- タンガニーカ(イギリス)
- 西トーゴランド(イギリス)
- 東トーゴランド(フランス)
- ルアンダ・ウルンジ(ベルギー)
- 西サモア(ニュージーランド)
- 太平洋諸島(アメリカ合衆国)
- ナウル(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)
- ニューギニア(オーストラリア)
委任統治領は、原則として全て信託統治領に移行したが、2つの例外がある。1つは、南アフリカが受任国となっていた旧ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)である。南アフリカは、信託統治への移行を拒絶し、委任統治制度も国際連盟の解散により消滅したものとして、南西アフリカを植民地として扱った。これに対して、国連総会は、1960年に、委任統治の継続を認定した上で、その終了を決議、1968年に国連ナミビア委員会の統治下におく旨を決議した。しかし、南アフリカは、ナミビアが1990年に独立するまで占領し続けた。もう1つは、イギリスが受任国となっていた旧オスマン・トルコ領パレスチナである。ユダヤ人とアラブ人に対する二枚舌外交が第二次世界大戦後に破綻し、イギリスに対するテロ攻撃が激化したため、イギリスはパレスチナの統治を断念し、これを国連に委ねた(パレスチナ問題)。このため、パレスチナは信託統治に移行せず、イギリスの委任統治の期限切れとなる1948年5月14日に、国連決議に従いイスラエルが建国を宣言し、第一次中東戦争が勃発した。
[編集] 西カメルーン
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。住民投票の結果、北部(北カメルーン)は、1961年6月1日、西隣りのナイジェリアに編入、南部(南カメルーン)は、同年10月1日、東隣りのカメルーンに編入した。
[編集] 東カメルーン
施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。1960年1月1日に独立し、カメルーン共和国となる。1961年にイギリス信託統治領の南カメルーンと合併し、カメルーン連邦共和国となるが、1972年に連邦制を廃止し、1984年にカメルーン共和国に改称した。
[編集] ソマリランド
施政権者はイタリア。イタリアの植民地であったが、第二次世界大戦に敗れたため、信託統治領への移行を余儀なくされた。なお、他のイタリアの植民地は、エリトリアがイギリス領に、リビアが英仏共同統治領になり、エチオピアは1941年に独立を回復した。イタリア信託統治領のソマリランドは、1960年7月1日に独立し、北西に位置するイギリス保護領(同年6月26日独立)と共にソマリア共和国となった。1969年、ソマリア民主共和国に、1991年、ソマリアに改称。しかし、旧イギリス領はソマリランド共和国として一方的に独立を宣言し、旧イタリア領内も分裂状態となっている。
[編集] タンガニーカ
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。1961年12月9日独立。1964年4月26日、ザンジバル人民共和国と合併し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国になり、同年10月29日、タンザニア連合共和国に改称。
[編集] 西トーゴランド
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。1957年3月6日、西隣りのイギリス領ゴールドコーストと共に、ガーナとして独立。1960年、共和国になる。
[編集] 東トーゴランド
施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。1960年4月27日に独立し、トーゴ共和国となる。
[編集] ルアンダ・ウルンジ
施政権者はベルギー。委任統治前はドイツ領。1962年7月1日、北部はルワンダ共和国として、南部はブルンジ王国として分離・独立。1966年、ブルンジ王国は、ブルンジ共和国になった。
[編集] ナウル
施政権者は、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス。委任統治前はドイツ領。1968年1月31日独立、ナウル共和国となる。
[編集] ニューギニア
施政権者はオーストラリア。委任統治前はドイツ領。ニューギニア島の北東部と、ビスマーク諸島、ソロモン諸島のブーゲンビル島からなる。1949年、ニューギニアの信託統治を維持したまま、ニューギニア島南東部のオーストラリア領パプアと行政単位を統合し、パプアおよびニューギニア准州とした。1972年、パプアニューギニア准州と改称。1975年9月16日、独立し、パプアニューギニアとなった。
[編集] 西サモア
施政権者はニュージーランド。委任統治前はドイツ領。1962年1月1日独立。1997年7月3日、サモア独立国に改称。
[編集] 太平洋諸島
施政権者はアメリカ合衆国。委任統治前はドイツ領で、委任統治時代の受任者は日本。マリアナ諸島(グアム島を除く)、カロリン諸島、マーシャル諸島の3諸島で構成される。グアム島は、1898年から米国領であり、1941年から日本が占領していたが、1944年に奪還され、以後、米国の直轄領(準州)である。
太平洋諸島信託統治領だけは、国連憲章82条以下に規定される「戦略地区」に指定され、施政権者の軍事的利用が認められた。
当初は、将来的にこの地域を一括してミクロネシア連邦として独立させる計画であり、1965年に住民自治立法機関であるミクロネシア議会を設立した。しかし、まず初めに、マリアナ地区(グアム島を除くマリアナ諸島)が、1978年1月9日に米国自治領(自由連合州)の北マリアナ諸島となり分離。続いて、マーシャル地区(マーシャル諸島)とカロリン諸島のパラオ地区がそれぞれ自治政府を設立したため、残されたカロリン諸島のコスラエ・トラック・ポナペ・ヤップの4地区で連邦自治政府を設立。マーシャル地区は、1986年10月21日に独立し、マーシャル諸島共和国となった。カロリン諸島の4地区は、同年11月3日に独立し、ミクロネシア連邦となった。最後の信託統治領となったパラオは、1994年10月1日にパラオ共和国として独立し、これをもって国連の信託統治制度は役割を終えた。
[編集] 委任統治との相違
- 監督権限の強化。施政権者に対する監督事務を行う信託統治理事会は、3年に1度、各地域を視察し、住民に対する人権侵害や搾取がないか、自治・独立に向けた施政が行われているかを調査することとした。
- 地域住民から国連への請願制度を創設。委任統治では、住民からの請願を受理するのは受任国の役目で、国際連盟は関与しなかった。これに対し、信託統治では、住民からの請願を国連が受理することで、施政権者の不正を察知し、これをただすことが可能となった。
- 軍事利用の許可。委任統治では地域の軍事利用は禁止されていたが、信託統治では「戦略地区」の指定を受けることで、国際平和を目的とした軍事利用が認められる。