五条駅 (奈良県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五条駅(ごじょうえき)は、奈良県五條市須恵3丁目1号9番地にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線の駅。五條市の代表駅で利用者も多く和歌山線運行上の要の駅ともなっている。
目次 |
[編集] 駅構造
- 単式ホーム・島式ホーム混合2面3線のホームを持つ地上駅で、かなりホームの有効長が長い。駅本屋から一番はなれたホームには当駅折り返しの列車が発着しており、このほかはほとんど駅舎に近い2つのホームからの発車となる。
- 駅舎は非常に大きなもの。基本的に木造であるが入口周りにはコンクリートで増築されており木造とコンクリート造りが入り混じった珍しい建物となっている。
- 便所は、改札内・改札外ともに男女別の水洗式。
[編集] 駅周辺
あたりは木材工業によって発展した五條市の中心部である。当駅はその市街地の北東の端に位置しており市街地の中心部は当駅の南西方向にある。駅近くにはサティ五條店などもあり市役所をはじめとする公的施設もみな近い。以下には当駅周辺の代表的な施設や当駅から交通の便のある主要なスポットを列記していく。
- 五條市役所
- 奈良地方法務局五条支局
- 奈良地方検察庁五条区検察庁
- 下市公共職業安定所五条出張所
- 近畿地方整備局和歌山工事事務所五条出張所
- 五條警察署
- 五条検察審査会
- 五条調停センター
- 近畿農政局奈良統計事務所五条出張所
- 五條警察署新町交番
- 五条郵便局
- 関西電力五条変電所
- 奈良交通五條バスセンター - サティ五條店に併設
- 奈良県立五條高等学校
- 智辯学園中学・高等学校 - 当駅の利用者の中でもこの学校の生徒は多くなっている
- 統神社
- 栄山寺
- 湯の峰温泉
- 十津川温泉
- 西吉野温泉
- 国道24号
[編集] 当駅からのバス
駅前に奈良交通のバス乗り場があり以下のようなバスが発着している。
- 北口乗り場
- [58]五條バスセンター行(田園四丁目、五丁目経由)
- [56]田園五丁目行(田園四丁目経由)
- [57]田園一丁目→田園三丁目方面、五條駅北口行
- 駅前乗り場(南口)
- [特急]八木駅行(終点まで各停)(かもきみの湯経由)
- [特急]新宮駅行(十津川、湯の峰温泉、川湯温泉経由)<五條市西吉野町、大久保口停留所まで各停>
- [1][10][11][12][31][32][34][35]五條バスセンター行
- [50]西阿田→八田東→五条駅(日曜、祝日運休)
- [35]東冨貴行(黒駒、火打、大深経由)
- [1]十津川温泉行(城戸、大塔温泉夢乃湯、上野地経由)
- [10]日裏行(五條駅、城戸経由)
- [11]西吉野温泉(専用道城戸経由)
- [12]専用道城戸行(県立五條病院経由)
- [34]奥谷行(県立五條病院、池芝、谷の宮経由)
[編集] 歴史
この駅は明治29年(1896年)の10月25日、南和鉄道が葛駅(現在の吉野口駅)から当駅を経て二見駅(のちの川端駅)までを開通させたのと同時に五条駅(ごじょうえき)として開業する。開業のおよそ2年後の明治31年(1898年)4月には紀和鉄道がこんどは当駅から南和鉄道との接続点(のちに二見駅、現在は大和二見駅となっている)をへて橋本駅までを開業させこの駅は南和鉄道と紀和鉄道、二つの会社の境の駅となった。
このとき紀和鉄道は実際は両鉄道の接続点から線路を延ばしていたが明治35年(1902年)6月には紀和鉄道がこの接続点に二見駅(現在の大和二見駅)を開業させ、南和鉄道はその二見駅からもともとあった二見駅までの旅客営業を廃止して貨物線とする。なおこのときもともとあった二見駅は新しく出来た二見駅との重複を回避するため川端駅に改称となり、二見からの南和鉄道貨物支線の終着駅という形になった。この二見から川端までの貨物支線は昭和57年(1982年)10月1日に廃線となっている。
なお和歌山線の電化は王寺駅から当駅と当駅から和歌山駅の二段階に分けて行われたため当駅には電化・非電化区間の境目となった時期がある。
[編集] 年表
- 1896年(明治29年)10月25日 - 南和鉄道の葛駅(現在の吉野口駅)から当駅を経て二見駅(のちの川端駅)までの開通にともない開業。
- 1898年(明治31年)4月11日 - 紀和鉄道が当駅から南和鉄道との接続点(のちに二見駅、現在は大和二見駅となっている)をへて橋本駅までを開業する。
- 1904年(明治37年)8月27日 - 関西鉄道が紀和鉄道を買収し関西鉄道と南和鉄道の接続駅になる。
- 1904年(明治37年)12月9日 - 関西鉄道が南和鉄道を買収し関西鉄道単独の駅となる。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称の制定により王寺駅から当駅を経て和歌山駅(現在の紀和駅)までが和歌山線とされる。
- 1980年(昭和55年)3月3日 - 王寺駅から当駅までがシンプルカテナリー方式で電化され、当駅は電化・非電化区間の境界駅となる。
- 1984年(昭和59年)10月1日 - 当駅から和歌山駅までが電化される。これによって当駅は電化・非電化区間の境界駅ではなくなる。なおこのときの電化は国鉄末期の経費節減の影響を受けて通常の電化方式であるシンプルカテナリー方式ではなく、簡易な電化方式たる直架式によってなされていて現在でも五条駅が二つの電化方式の境目となっている。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
[編集] その他
- 市名は「五條」と書くが駅名は「五条」と書き「條」の字を新字体にするか否かで異なっている。
- この駅から粉河駅までの間は、線路保守工事によるデータイム運休が年に3回行われる区間となっている。
- かつて戦前、この駅から現在の紀勢本線の新宮駅までを鉄道で結ぶ計画(五新線、後に阪本線と呼ばれる様になる)があったが、モータリゼーションの影響などもあって結局実現しなかった。五條市大塔町阪本まで完成した路盤のうち、同市霊安寺町付近から同市西吉野町城戸付近まで簡易舗装されバス専用道として利用されており、3系統のバスが運転されている。また、バス専用道に転用されなかったアーチ橋の遺構が国道24号線を跨いでいる。撤去の予定はないようである。