メアリー・J・ブライジ
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メアリー・J・ブライジ(Mary Jane Blige 1971年1月11日 - )はアメリカ合衆国ニューヨークブロンクス出身の女性R&B歌手。クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称される。
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[編集] 来歴
ジャズミュージシャンの父トーマスと学校教師の母コラの間に生まれる。メアリーが4歳のときに両親は離婚し、母と姉と三人で暮らす。7歳の頃から教会の聖歌隊で歌い始め、母の影響でオーティス・レディング、グラディス・ナイト、アル・グリーンなどの60年代-70年代ソウルを聞いて育つ。高校のタレント・ショウでは歌も披露していたが、気晴らしのために麻薬を使用したりして、結局落第する。地方のショッピング・モールの録音ブースでアニタ・ベイカーの1986年のヒット・ナンバー「コート・アップ・イン・ザ・ラプチャー」を歌ったデモ・テープを、継父が当時のアップタウン・レコードの社長だったアンドレ・ハレルに渡し、アップタウン・レコード社にとって最年少で初の女性アーティスト契約を結ぶことになる。1990年ファーザーMCの「I'll Do For You」にフィーチャリング参加した後、映画「Strictly Business」のサウンドトラック収録曲、「You Remind Me」でソロデビューする。
このころ私生活でK-Ci Haileyと交際するも、二人の関係は上手くいかず、1997年に破局するまで様々なトラブルにメアリーは見舞われた。
ショーン・パフィ・コムズ(現ディディ)のサポートで、1992年のデビュー・アルバム「ホワッツ・ザ・411?」をリリース。同アルバムからの1stシングル「リアル・ラヴ」は、ヒップホップ名盤「トップ・ビリン」をサンプリングしたもので、全米ナンバー1を記録する大ヒットとなる。その後も「レミニス」、「ラヴ・ノー・リミット」と立て続けにヒットを飛ばし、アルバムは見事にダブル・プラチナを獲得、そのR&Bとヒップホップを融合させたスタイルは「クイーン・オブ・ヒップ・ホップ・ソウル」と称されるようになった。翌年、本作のリミックス・アルバムをリリース。
1994年発表の2ndアルバム「マイ・ライフ」を発表。アレサ・フランクリンと比較されるほどの存在感を放ち、このアルバムもプラチナムを記録した。この時メアリーは初めてワールド・ツアーを敢行、来日も果たした。「アイム・ゴーイン・ダウン」はローズロイスのカバーで、この曲でメアリーは高い歌唱力を実証することになる。1stシングル「ビー・ハッピー」は、デビュー作から本作も関わっているショーン・パフィ・コムズのプロデュース。タイトル曲「マイ・ライフ」は、彼女の最高傑作であるとの呼び声も高い。1996年には、グラミー賞(ベスト・ラップ・ソング)を受賞。
1997年、プロデューサー陣にショーン・パフィ・コムズ、ベイビーフェイス、ジャム&ルイス、R・ケリー、エムトゥーメ、ロドニー・ジャーキンスといったそうそうたる面々を迎えた、3rdアルバム「シェア・マイ・ワールド」をリリース。代表曲はジョージ・ベンソンが客演した「セヴン・デイズ」、R・ケリーとのデュエット「イッツ・オン」、名曲「エヴリシング」、映画「ため息つかせて」の挿入歌になった「ノット・ゴナ・クライ」など。国内盤のボーナス・トラック「ナチュラル・ウーマン」は、「クイーン・オブ・ソウル」と称された1967年アレサ・フランクリンの名曲のカヴァー。アルバムはアメリカ国内だけで300万枚を超えるセールスを記録、最大のヒットアルバムとなった。この時の全米ツアーの模様を収録した初ライヴ・アルバム「ザ・ツアー」には、「Misty Blue」等の未発表曲も発表した。
1999年夏に、4thアルバム「メアリー」をリリース。1stシングル「オール・ザット・アイ・キャン・セイ」ではローリン・ヒルがプロデュース、バッキング・ヴォーカルでも参加しているほか、「ディープ・インサイド」、「ギヴ・ミー・ユー」、「ユア・チャイルド」が立て続けにヒット。アレサ・フランクリンやK-Ci Hailey、エルトン・ジョンとのデュエット曲も収録されている。プロデューサーにベイビーフェイスが参加しているが、大半の楽曲にメアリー自身が作曲、プロデュースで関わっている。
コンサートツアーやユニセフのチャリティー・コンサート参加など、多忙を極める中、Soul Train "Lady of Soul" AwardでR&B/Soul Album of the Year, Solo(「Mary」)とR&B/Soul or Rap Song of the Year(「オール・ザット・アイ・キャン・セイ」)の2冠に輝く。2001年6月、第1回BET AWARDでBest Female R&B Artistに選ばれるなど、確固とした地位を確立する。最近では映画やドラマなど女優にも挑戦。同年8月、5thアルバム「ノー・モア・ドラマ」をリリース。初登場2位を記録した。ドクター・ドレープロデュースの1stシングル「ファミリー・アフェアー」は6週連続全米ビルボード・チャート1位という大ヒットを記録。アルバムは全世界で260万枚を売り上げ、グラミー賞2部門ノミネートや2年連続でNFLスーパーボウルでのパフォーマンスを行うなか、2002年3月には待望の再来日公演を行う。
1stアルバムで大成功を収めた際のプロデューサー、P・ディディ(ショーン・パフィ・コムズ)とのコンビ復活によるニュー・アルバム制作のニュースが2003年に届き、春には大ヒット中だった50セントの「イン・ダ・クラブ」をサンプリングしたプロモーショントラック「フックト」が注目される。しばらく時間をあけて発表された新曲「ラヴ@ファースト・サイト」では、過去にコラボレート作でグラミーを受賞したメソッド・マンをフィーチャー。同年6thアルバム「ラヴ & ライフ」をリリース。アルバムはプラチナを獲得するもセールスは伸びず、最も商業的には失敗した。評論家もファンも一貫性の不足を批判した。 また、メアリーは2000年から交際を始めていたマーチン・ケンドゥ・アイザックスと2003年12月7日に結婚。 その結果、現在メアリーはマーチンの連れ子である3人の幼い子供の継母になった。
「ザ・ブレイクスルー」と題せられた7thアルバムを2005年末にリリース。1stリードシングル「ビー・ウィザウト・ユー」は大ヒット。アルバムはR&BアルバムとビルボードTop200アルバムチャートともに一位でデビューし、発売1週間で驚異的な72万7163本を販売した。アルバムでは1991年のU2ヒット曲、「ワン」のカバーをボーノとともにデュエットしている。 リリース以来、アルバムは160万本以上を販売。今後の活躍も期待される。
[編集] アルバム
- ホワッツ・ザ・411? - What's The 411 (1992年)
- ホワッツ・ザ・411? リミックス - What's The 411? Remix (1993年)
- マイ・ライフ - My Life (1994年)
- シェア・マイ・ワールド - Share My World (1997年)
- ツアー - The Tour (1998年)
- メアリー - Mary (1999年)
- バラッズ - Ballads (2000年)
- ノー・モア・ドラマ - No More Drama (2001年)
- ラヴ & ライフ - Love & Life (2003年)
- ザ・ブレイクスルー - The Breakthrough (2005年)
- ザ・ジャーニー - Reflections (2006年)
[編集] 映像作品
- Live From Los Angeles(2004年)
- Live From The House Of Blues(2005年)
[編集] 日本公演
[編集] 外部リンク
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