ミニヴァー夫人
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ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver |
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監督 | ウィリアム・ワイラー |
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製作 | シドニー・フランクリン |
脚本 | アーサー・ウィンペリス ジョージ・フローシェル ジェームズ・ヒルトン クロダイーン・ウエスト |
出演者 | グリア・ガースン テレサ・ライト ウォルター・ピジョン |
音楽 | ハーバート・ストサート |
撮影 | ジョーゼフ・ルッテンバーグ |
編集 | ハロルド・F・クレス |
配給 | MGM |
公開 | 1942年6月4日 ニューヨーク |
上映時間 | 134分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
興行収入 | 539万ドル(当時) |
次作 | The Miniver Story (1950) |
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ミニヴァー夫人(Mrs. Miniver)は、1942年の米国映画。MGM製作。
米国アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞(ウィリアム・ワイラー)、主演女優賞(グリア・ガースン)、助演女優賞(テレサ・ライト)、脚色賞(アーサー・ウィンペリス、ジョージ・フローシェル、ジェームズ・ヒルトン、クロダイーン・ウエスト)、撮影賞(白黒部門。ジョーゼフ・ルッテンバーグ)の6部門の他、この映画の製作者シドニー・フランクリンにアーヴィング・タールバーク記念賞が贈られてる。
この映画は、『カサブランカ』(1943)と並び第二次世界大戦中に連合国側、枢軸国を問わずたくさん作られた、いわゆる戦意高揚映画と呼ばれる類の作品である。また、この年は日米開戦の翌年であり、この年の作品の多くは日米開戦以前に企画された作品ばかりで、1939年のナチス・ドイツの対英仏開戦以来反ナチス・反ヒトラー映画が数多く作られてきた。
時代は第二次世界大戦初期のイギリスの田舎町。そこに住むミニヴァー家の人々の日常を夫人(グリア・ガースン)を中心に描いている。この作品のメッセージとしては、ヨーロッパ戦線初期のナチス・ドイツへの敵愾心と英国への米国側への支援が込められている。英国人を主要キャストに置き、丁寧で流れるようなシナリオの巧さとワイラー監督の演出の好調ぶりを裏付けるような作品になっている。
なお、この作品の日本公開は戦後の1949年9月である。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
1939年夏、ミニヴァー夫人(グリア・ガースン)はロンドン郊外の小さな村に住む建築家クレム氏(ウォルター・ピジョン)の妻である。ロンドンへ行ってきた彼女が、帽子を買って帰ってくるところからはじまる。停車場を降りると人の好い駅長(ヘンリー・トラヴァース)に捕まり、ご自慢のバラに「ミニヴァー夫人」という名前をつけさせてくれと頼まれる。家へ帰って帽子を買ったことを言い出しかねると、夫のクレムも実は新車を買ったことがわかり、お互いに納得する。その翌日、夫妻は二人の子供を連れて、大学から帰省する長男のヴィン(リチャード・ネイ)を駅に迎えに行く。ところが村で名門の誉れの高いベルドン夫人の孫娘キャロル(テレサ・ライト)が、これまでバラの栽培で一等賞を受けてきたのはペルドン家だったが花の品評会で祖母に一等を獲らせたいため、駅長の出品をやめさせてほしい、と頼みに来たときは大激論になる。しかし、若い者同士なので、ダンスパーティーの夜、彼は彼女に謝罪し、仲良く踊り、たちまち恋におちてしまう。
突然対独戦が始まる。ヴィンは近くの飛行隊へ配属される。彼はキャロルと正式に婚約する。クレムも町の人々と共にダンケルクから退却するイギリス兵の救助に駆けつける。ミニヴァー夫妻は飛行編隊が上空を通るごとに、ヴィンの合図を聞き、不安の胸をなで下ろす。
いろいろな戦争による一家の危機があったが、やがてペルドン夫人の主催による花の品評会が無事に開かれる。ペルドン夫人の大英断で、駅長のバラ「ミニヴァー夫人」を一等に、自分のバラを二等にする。ミニヴァー夫人とキャロルは、ヴィンを航空隊へ送るが、その帰り道空襲による機銃掃射によって、キャロルは即死する。廃墟と化した教会では牧師が村から犠牲者が出たことを悼み、敵からの必勝を誓う。折から味方の航空隊が穴の開いた天井から見える。
[編集] エピソード
- ウィンストン・チャーチルは、かつてこの作品を敵の小艦隊一個分を破壊した位の戦力があると評した。
- ミニヴァー夫人の役は、最初はノーマ・シアラーが意中の人だっが、3人もの子を持つ母親役はいやだと断られた。それで、グリア・ガーソンに回ってきたのだが、彼女は契約上だけの話ではなく、きちんと役柄に打ち込んだために主演女優賞をもらった。
- アカデミー賞始まって以来の演技部門5部門にノミネートされた作品である。
- グリア・ガースンは、息子役10歳年下のリチャード・ネイと結婚した。7年経って離婚した。
- 監督のウィリアム・ワイラーはドイツ生まれにもかかわらず、ナチス・ドイツへの抵抗を示した作品であることを認めている。
- 作品が完成した後、ウィリアム・ワイラーは米国陸軍通信隊に配属された。彼は海を越えて、初めてオスカーを獲ったのを知った。ワイラー自身もカメラを持ってB-17 (爆撃機)メンフィス・ベルに乗務していたこともあった。彼は戦後述べていたのだが、実際に戦場へ行って惨状を目の当たりにすると、この映画の表現では甘過ぎだと思ったそうだ。
- 1939年出版されてベストセラーになった英国の女流作家ジャン・ストラーサーの短編エッセイ集を元にしている(エッセイ集だから筋がない)しかし、ほとんどの内容が対ドイツ戦に入ろうとする段階のもので、最後のエッセイで戦争に突入する内容だった。本の中にある何人かの登場人物は映画と同じものの、実際に起きた事件とは全く異なっている。
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