マーティ (映画)
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マーティ Marty |
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監督 | デルバート・マン |
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製作 | ハロルド・ヘクト |
脚本 | パディ・チャイエフスキー |
出演者 | アーネスト・ボーグナイン ベッツィ・ブレア ジョー・マンテル |
音楽 | ロイ・ウェッブ |
撮影 | ジョセフ・ラシェル |
編集 | アラン・クロスランドJr |
配給 | ユナイテッド・アーティスツ |
公開 | 1955年4月11日 ニューヨーク |
上映時間 | 91分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
制作費 | 約34万ドル(当時) |
興行収入 | 約300万ドル(米国内) |
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マーティ(Marty)は1955年の米国映画。ヘクト・ランカスター・プロ製作、ユナイテッド・アーティスツ配給。
第28回(1955)のアカデミー賞では、アカデミー作品賞、アカデミー監督賞(デルバート・マン)、アカデミー主演男優賞(アーネスト・ボーグナイン)、アカデミー脚本賞(脚色部門:パディ・チャイエフスキー)の4部門を獲得した。また、この作品は、カンヌ国際映画祭でも米国の作品で初めてパルムドールを獲得し、アカデミー賞作品賞と共に獲得した、現在のところ唯一の映画でもある。また、1994年米国連邦図書館がアメリカ国立フィルム登記簿に登記した作品である。
テレビに追われ、大型予算、ワイドスクリーン、豪華キャストなど超大作路線に進み始めた米国映画にあって、低予算、白黒スタンダード、無名監督、スターなしという地味な映画である。しかし、この作品は、そういうハンディでも名作が出来るという米国映画史上ターニングポイントになった作品である。
ニューヨークの下町で肉屋をしている善良な好人物のマーティは自分の醜男ぶりに劣等感をおぼえ、いまだに独身。あるダンス・パーティで自分と同じように人並みとはいえない容姿の女性教師と出会い、お互いに最良の伴侶に出会ったと信じ結ばれるまでを描く。
「ボーイ・ミーツ・ガール」は現在のハリウッドでも一番ごくありふれたドラマのジャンルであるが、こういうタイプの人物に主役をさせるという、興業価値をまるで無視した作品にも、結果として有名な多くの映画賞が集中した。また1960年代に入って出現したアメリカン・ニュー・シネマの先駆的な作品の1本でもあろう。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
ニューヨークのブロンクス。母と二人暮らしの肉屋マーティ(アーネスト・ボーグナイン)はイタリア系のお人好しだが、肥えているし顔に自信がないため、30代半ばの今まで結婚できないでいる。気をもむ母(エスター・ミンチオッティ)がある日、彼をダンス・パーティに送り出した。
マーティはそこで紹介された教師のクララ(ベッツィ・ブレア)と知り合う。彼女もマーティと同じく容姿に自信がなく悩んでいた。話がはずんだマーティは翌日の再会を約束してクララと別れた。
ところが翌日は次から次へと用事ができてしまう。友達もクララとデートする彼を馬鹿にする。電話さえしそびれたまま、その日の夕方を迎えてしまう。
しかし、遊び場所にも困り、下らないおしゃべりをしている仲間と一緒にさんざんマーティをからかった仲間たちにも、実はガールフレンドなどなかった。容姿が美しいことがすべてではないことに、ようやく気づいたマーティはクララに電話するのだった。
[編集] エピソード
- 上映時間91分というのはアカデミー作品賞を獲った作品としては最短時間である。
- 映画史上でも製作会社が賞までの広告費(約40万ドル)が映画制作費(約34万ドル)を上回っている唯一の作品である。
- 製作を担当したハロルド・ヘクトとバート・ランカスターはこの映画に税金がかからないだろうと噂された。なぜなら、この映画は赤字になるだろうからと信じられていたからである。
- この作品は、たったの34万ドルで完成したが、興業配収は米国内でも300万ドルを超え、映画史上最も稼いだ作品の一本だと報道された。
- ワシントンの弁護士ベネット・ウィリアムズも映画の資金の10%を出資しようとしていたのだが、結局出資を見送った。そのためこの映画の儲けを取り損ねたので、彼は損したのだと報道された。
- バート・ランカスターはこの映画にタイトルさえ出てきていないのだが、劇場の予告篇にはしっかりと製作者である彼の名前が出ている。
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985〜1990)シリーズの主人公マーティの名前は、この映画の主人公をもじったものである。
1941: わが谷は緑なりき | 1942: ミニヴァー夫人 | 1943: カサブランカ | 1944: 我が道を往く | 1945: 失われた週末 | |