ボストン (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盲目の馬ボストン |
|
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1833年 |
死没 | 1850年1月31日 |
父 | ティモレオン |
母 | シスタートゥータカホ |
生産 | John Wickham |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | Nathaniel Rives |
調教師 | John Belcher →Arthur Taylor |
競走成績 | 45戦40勝 |
獲得賞金 | 51,700ドル |
ボストン(Boston、1833年 - 1850年)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。45戦して40勝の戦績を残した初期のアメリカ名馬であり、死の105年後の1955年にはアメリカ殿堂馬に選ばれている。これは殿堂馬の中でも1814年生まれのアメリカンエクリプスに次いで時代が古い。レキシントンの父としても知られる。
1833年リッチモンドで生まれる。その後1835年に生産者であるウィッカムがナザニエルと行ったカードゲームに負け、その負け分800ドルの返済に代わりボストンを譲ったという。ボストンという名前もボストンでは無くカードゲームの名前より名付けられたとされている。
この後ジョン・ベルチャーの元で訓練を受けることになったボストンだが、あまりに凶暴な気性のため調教師は非常に手を焼いた。一時は去勢も検討されたほどで、跳んだりはねたりして騎手を振り落とそうとしたり、レースに出れば自分から止まり、はては他の馬に噛みつく有様だった。しかしその後アーサー・テイラーの元に移ると連勝を重ね、3から10歳時に引退するまでの8年間に40もの勝利を積み重ねた。その後は種牡馬としてケンタッキー州などで供用されたが、晩年も凶暴な気性は直らず、さらには若い頃の傷が元で失明してしまい1850年に死亡した。その年に生まれたレキシントンと、そのライバル・ルコント、1846年生まれのレッドアイなどの産駒を送り出し、1841,42,43年の3年間にはアメリカリーディングサイアーを獲得している。
カテゴリ: 1833年生 | 1850年没 | サラブレッド | アメリカ合衆国生産の競走馬 | アメリカ合衆国調教の競走馬 | 競馬に関するスタブ