レキシントン (競走馬)
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レキシントンの肖像 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1850年3月17日 |
死没 | 1875年7月1日 |
父 | ボストン |
母 | アリスカーネル |
生産 | Dr.エリシャ・ウォーフィールド |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | Dr.エリシャ・ウォーフィールド →リチャード・テン・ブロウク |
調教師 | バーブリッジス・ハリー J.P.プライア |
競走成績 | 7戦6勝 |
獲得賞金 | 56600ドル |
レキシントン(Lexington、1850年 - 1875年)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。競走馬としては1850年代に活躍した。初期のアメリカ名馬で、種牡馬としても成功し通算16回の米種牡馬チャンピオンとなった。別名ダーレイ。体高は15.3ハンド(約155cm)。
目次 |
[編集] 出生
ヘロドの孫で第1回のエプソムダービーを制しながらも端金でアメリカに輸出されたダイオメドは輸出先で思いもよらない成功を収めた。レキシントンは45戦40勝の戦績を残したボストンの産駒であり、ダイオメドの4代後の子孫にあたる。
生地は当時アメリカの片田舎であったレキシントンという町で、レキシントンもその名前にちなんでいるが、当初生産者であったウォーフィールドはこの馬がダーレイアラビアンに似ていると言うことで「ダーレイ」と名付けられ現役時代の前半はレキシントンではなく、ダーレイの名で走っている。その後テン・ブロウクの手に渡り生産地にちなんだ名前に改められたという。
[編集] 現役時代
レキシントンの走った競走は1マイルから4マイルまでで、今日では重要なスピード源と考えられているが、意外にも自身は長距離を走っている。ライバルといえる馬にはルコント(Le Compte)がいて、唯一の敗戦もルコントに対する4マイルのヒートであった。この敗戦の後テン・ブロウクはルコントの馬主ウェルズに再戦を申し込んだが取り合ってもらえなかったため、前述のヒートでルコントが記録した4マイルの世界レコードに挑戦するトライアルレースを行い、ルコントのレコードを6秒1/4縮める7分19秒3/4のタイムをマークした。このタイムは以後19年間破られなかった。
現役最後のレースとなったジョッキークラブ・パースでは第一ヒートで圧勝し、ルコントに雪辱した。このころレキシントンは父ボストンと同じく視力を失い、そのため引退、当時のアメリカ馬としては破格の1万5000ドルでロバート.A.アレクサンダーに売却された。
[編集] 競走成績
- 1853年(3戦3勝)
- 1854年(2戦1勝)
- 1855年(2戦2勝)
[編集] 引退後
テン・ブロウクはホラ話の多い人物で信用されておらず、人々はアレキサンダーを「騙されたんじゃないか?」と嘲笑したが、アレクサンダーはレキシントンの産駒をそれ以上で売ってみせると発言した。実際にレキシントンは種牡馬として非常に優秀で、アレクサンダーはレキシントンの産駒の一頭ノーフォークを1万5001ドルで売却しこの話を実現してみせた。
レキシントン自身は盲目ながら大切にされ、25歳まで生きた。1875年にウッドバーン牧場で死亡すると、残された骨格はスミソニアン博物館の哺乳類の進化のコーナーに展示されている。
[編集] 種牡馬成績
レキシントンの種牡馬成績はアメリカ競馬史上に残る成功と認識されており、ノーフォーク、プリークネス、デュークオヴマジェンタ等の産駒を出し、アメリカ種牡馬チャンピオン14年連続16回という、どちらも史上最高記録となる大記録を作った。
初期のアメリカ血統に対する影響は絶大であり、19世紀末にはレキシントンの血を持つ競走馬がヨーロッパに渡り、そのうちフォックスホール、パロール等何頭かは大レースを制している。だが、レキシントンの血統中にはジェネラルスタッドブックに遡れない馬の血が含まれていたため、イギリスでは20世紀初頭に設定されたジャージー規則によって排除された(つまりレキシントンやその子孫はサラブレッドと認められなかった)。この規則は後にレキシントンを母方にもつトウルビヨン等の活躍で撤廃され、レキシントンもサラブレッドとして認められることとなった。
一方直系子孫はレキシントンがあまりに成功したため逆に発展を妨げられる結果となり20世紀を前に急速に衰えた。20世紀初頭にはほぼ姿を消したが、父系子孫自体は1990年頃まで保護され残っていたようである。
- 1861-74,76,78アメリカ種牡馬チャンピオン。
[編集] 主な産駒
- ノーフォーク(Norfolk) - ジャージーダービー他、後継種牡馬
- プリークネス(Preakness) - サラトガカップ他、プリークネスステークスとして名を残す
- ウォーダンス(War Dance) - 種牡馬
- デュークオヴマジェンタ(Duke of Magenta) - プリークネスステークス、ウィザーズステークス、ベルモントステークス、トラヴァースステークス
- アステロイド(Asteroid) - 12戦無敗
他当時の大レース勝ち馬多数、当時の米三冠競走勝ち馬だけで10数頭。
[編集] 血統表
レキシントンの血統 (ヘロド系/Sir Archy3×4=18.75% Diomed4.4×5=15.62%) | |||
父
Boston 1833 栗毛 |
Timoleon 1814 栗毛 |
Sir Archy 1805 鹿 |
Diomed |
Castianira | |||
Saltram Mare 栗 |
Saltram | ||
Symme's Wildair Mare | |||
Ball's Florizel Mare 1814 栗毛 |
Ball's Florizel | Diomed | |
Shark Mare | |||
Alderman Mare | Alderman | ||
Clockfast Mare | |||
母
Alice Carneal 1836 鹿毛 |
Sarpedon 1828 黒鹿毛 |
Emilius | Orville |
Emily | |||
Icaria | The Flyer | ||
Parma | |||
Rowena 1826 栗毛 |
Sumpter | Sir Archy | |
Robin Redbreast Mare | |||
Lady Grey | Robin Grey | ||
Maria F-No.12-b |
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