ハイデッカー
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ハイデッカー(high decker)は、景観をよくするために客室を高い位置に配置したバスや鉄道車両。ハイデッキカーを短縮してこう称する。「ハイデッカー車」と呼ばれることもある。観光目的の車両・路線に用いられる。
本稿では、日本におけるバス車両のハイデッカーについて説明する。
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[編集] 沿革
日本のバス分野でのハイデッカーの登場は1960年(昭和35年)前後に遡るとされるが、1964年(昭和39年)には三菱ふそう(ボディは三菱重工業)が観光バス向けのオプション仕様として「セミデッカー」と呼ばれる部分高床車を設定、観光車のほか高速路線車としても採用された。1976年(昭和51年)にはいすゞ自動車(ボディは川重車体工業)が全高3.3m・全室高床構造の「フルデッカーI型」を発売、さらに翌1977年(昭和52年)には日産ディーゼル工業(ボディは富士重工業)や三菱ふそう(ボディは三菱自動車工業)がこれに追随してフルデッカー型の車体を設定したことから、急速に全室高床車が普及していくこととなった。
[編集] スーパーハイデッカー
スーパーハイデッカーは、床面をさらに嵩上げし全高を3.6m以上に引き上げたバスである。上級仕様の観光車や夜行高速路線車などに幅広く採用されている。夜行高速車の場合、床下にトイレや仮眠室を設けている。2階建てバスとハイデッカーの中間的な高さから中二階車と呼ばれることもある。
スーパーハイデッカーは従来車に対して車高が高く車重が増すため、法令で定められた1軸10tまでという軸重制限から、当初は後輪を2軸にした3軸車がメインであった。しかし3軸車は走行安定性や、全体の車重がさらに増すなどの問題があり、その後2軸スーパーハイデッカーが開発されることとなった。当初は車高を3軸車に比べ若干下げる、補助席の定員を制限するなどの対策がされていたが、ホイールベースを調整し燃料タンクをフロントオーバーハングに移すことにより、軸重に余裕を持たせることに成功した。
[編集] 沿革
日本初のスーパーハイデッカーは1977年に大阪の中央交通によって輸入されたネオプランN116/3シティライナー(3軸車)といわれている。
その後、2階建てバスの2階部分の居住性の問題から、豪華観光バスとしてスーパーハイデッカーに注目が集まることとなった。
1983年バンホールアクロンが岐阜乗合自動車などに導入される。同車は国内初の全高3.6mの2軸スーパーハイデッカーである。
1984年に三菱自動車工業(現・三菱ふそうトラック・バス)から国産初のスーパーハイデッカーであるP-MS725S改型スーパーエアロIが登場する。エアロバスの車高を途中から上げ途中で傾斜の付いた独特の屋根形状が特徴である。さらに全体的に車高を上げたスーパーエアロIIが登場する。スーパーエアロIIは試作車にもかかわらずかなりの販売実績を残し、「ノクターン号」など夜行高速バスにも使われた。なおこのスーパーエアロは2軸車のため、軸重の関係から全高が3.5mに押さえられていた。
1984年に日産ディーゼルはK-DA50T型をモデルチェンジしP-DA66U型を発売した。3軸車のため軸重に余裕があり日本製では初めて全高3.6mを実現した。初の型式承認を受けたスーパーハイデッカーである。なおK-DA50T型は1981年に登場した日本製では初の3軸車で、ハイデッカーから約200mmほど車高をアップしており、国産スーパーハイデッカーの先駆けである。P-DA66U型は翌1985年にモデルチェンジし、P-DA67UE型となった。前輪独立懸架となり、3軸車の強みを生かして重装備に対応し、今回からスペースウイングの名称が与えられた。車体はほとんどが富士重工業製だが、一部に西日本車体工業製が存在する。
1985年3月には三菱自動車からエアロクイーンKが発売された。車体を呉羽自動車工業(現・三菱ふそうバス製造)が担当し、エアロキングと共通性が高いデザインとなった。試作車扱いだが国産初の低運転台、2軸車全高3.6mのスーパーハイデッカーである。
同年8月、日野自動車からブルーリボングランデッカーが発売される。全高3.6mの2軸車としては初の型式承認を得た車種となった。
同年10月、三菱自動車からエアロクイーンWが登場する。三菱初の型式承認を得た同車は3軸車で、シャーシはエアロキングと共通であった。
1986年にはいすゞから同社初のスーパーハイデッカーである「スーパークルーザー」が登場する。2軸車で重量に余裕を持たせるため、ホイルベースを短縮し、フロントオーバーハングに燃料タンクを設けているのが外観上の特徴である。また国際標準の10スタッドホイールが初採用となった。アイ・ケイ・コーチ(いすゞバス製造を経て現・ジェイ・バス)、富士重工業が車体を架装した。
1986年に西日本車体工業から、4メーカー全てのシャーシに対応可能なスーパーハイデッカーボディのSD-I型が登場する。ハイデッカー用シャーシに架装される関係上、軸重の関係からスーパーエアロと同じく全高を3.5mとしている。
1988年に三菱自動車からP-MS729S型エアロクイーンMが登場する。軽量ボディに高出力エンジンで、当時増えていた夜行高速バスに多く使われた。ほぼ同時期に西日本車体工業からP-MS729S型シャーシに架装した、西工初の本格的な2軸スーパーハイデッカーSD-IIが登場した。SD-II型は「ムーンライト号」など西日本で夜行高速バスに広く使われた。
[編集] 観光バスの高出力化競争
1990年に日野自動車はブルーリボンRU6B系観光バスをモデルチェンジして、セレガを発売する。なめらかな曲線の前面デザイン、ヘッドライトとコーナリングランプの一体化などスタイルを一新し、観光バスに新たなイメージを作った。
またエンジンは前モデルのブルーリボン・グランデッカーが330psと出力不足であったため、特に夜行高速バス市場において、競合するエアロクイーンMに対して劣勢であった。そのためエアロクイーンMの355psを大幅に上回る370psのエンジンを採用した。これにより、夜行高速車においてもある程度、エアロクイーンMからシェアを奪った。
この後、観光バスの高出力化競争が始まり、この競争は1990年代末まで続くことになる。
[編集] 関連項目
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