臨時北部南西諸島政庁
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臨時北部南西諸島政庁(りんじほくぶなんせいしょとうせいちょう、Provisional Government of Northern Ryukyu Islands)は、アメリカ軍占領下の奄美諸島における行政機構で、1946年10月に設立された。臨時北部南西諸島政庁知事として大島支庁長の豊島至が任命された。また新たに琉球列島米国軍政府の諮問機関として「法制改定委員会(後に奄美民政議会に改称)」が設置された。
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[編集] 政庁発足前の「大島支庁」
終戦から半年後の1946年2月2日に、日本からの行政分離が連合軍総司令部から発表され、「鹿児島県大島支庁」は、上級庁を持たない「大島支庁」となった。その後、米軍政府の命令により、本土出身者が公職から追放され、本土に強制送還された。空席となった役職には、地元出身者が就任した。
[編集] 「大島支庁」の行政機構
- 支庁長
- 官房
- 内務部
- 財務部
- 経済部
- 食糧部
- 教育部
[編集] 臨時北部南西諸島政庁の行政機構
- 知事 - 副知事
- 内務部
- 財務部
- 教育部
- 経済部
- 食糧部
- 警察部
[編集] 法制改定委員会
北部南西諸島米軍政府の諮問機関で、26人の委員で構成した。他の地域のように「議会」と称する組織は置かれなかった。
任務は、「日本の旧い法律の中で人民を圧迫している法の撤廃、並びに必要と認められる法の復置に関する事項の提言」であった。
1950年になり、奄美民政議会に改組された。
[編集] 関連項目
米軍統治下の沖縄住民統治機構の変遷 | ||||||||||
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奄美群島 | 大島支庁→臨時北部南西諸島政庁→奄美群島政府 | |||||||||
沖縄群島 | 沖縄諮詢会→沖縄民政府→沖縄群島政府 | |||||||||
宮古群島 | 宮古支庁→宮古民政府→宮古群島政府 | |||||||||
八重山群島 | 八重山支庁→八重山仮支庁→八重山民政府→八重山群島政府 | |||||||||
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