ダイナマイト・キッド
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ダイナマイト・キッド(Dynamite Kid 本名:Tom Billington、1958年12月5日 - )は、イギリスランカシャー地方のゴルボーン出身の元プロレスラー。180cm 、98kg(現役当時)。「爆弾小僧」の異名を持つ。「ビリー・ライレージム」(通称:Snake Pit 蛇の穴)出身。
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[編集] 来歴
1975年17歳の時にイギリスでプロレスデビュー。1978年4月にカナダのカルガリーに渡り、スチュ・ハートのスタンピード・レスリングで活躍する。
1979年7月に国際プロレスのリングに上がるため初来日。1980年1月以降新日本プロレスのリングでJr.ヘビー級の選手として藤波辰爾、初代タイガーマスクのライバルとして大活躍した。
1984年11月、全日本プロレスに従兄弟のデイビーボーイ・スミスと共に移籍し「ブリティッシュ・ブルドッグス」として大活躍。1986年~1988年にかけてはWWFでも活躍していたが、1989年からは再び全日本プロレスに復帰。1991年世界最強タッグ決定リーグ戦後に現役引退を表明したが1993年7月に復帰。
1996年10月みちのくプロレス両国大会で、ドス・カラス、小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク、ミル・マスカラス、ザ・グレート・サスケ組との対戦で久々に日本のファンの前に姿を現し喜ばせたが、その姿にかつての面影はなく体重も相当落ちている様子だった。 現在は現役時代のステロイド投与の影響で車椅子生活を余儀なくされ(一説には、通常は人間には使用する事は出来ないくらい強力なステロイドを服用していたとも言われている)、生まれ育ったイギリスでひっそりと暮らしている。
[編集] ファイトスタイル
カナダ・カルガリーで頭角を現し、その端正な顔立ちと金髪で注目を集める。後にタイガーマスクとの抗争あたりから、剃頭に加え「肉体の表面張力の限界」たる筋肉を纏い更なる人気を博す。過剰なまでの受身で対戦相手の攻撃を引き出す一方で、スピーディかつ直線的で、自らの危険すら顧みない妥協を許さない攻撃スタイルから「爆弾小僧」、「爆弾貴公子」と形容された。
現在でこそトップロープ上での技の攻防は試合中の見せ場の一つになっているが、キッドはその先駆者的存在であり、自らもトップロープに上がってのブレーンバスターやバックドロップは、当時のファンに衝撃を与えている。
上記にも記されているように、筋力増強の為のドーピングの投与が彼の選手生命を短くしてしまった事は確かである。しかし、体格に恵まれていなかった彼とすればやむにやまれない事でもあり、全日本に移籍してからは鶴田、天龍、ハンセン、ブロディー、ブッチャーといったヘビー級のトップレスラーにも臆する事無く向かって行ったそのファイトスタイルで、多くのファンの心を掴んでいた。自身が望んでいたかは別として、当時のファンの位置づけでは、明らかにベビーフェイス的な人気では№1だったといっても過言ではない。間違いなく伝説に残る名レスラーの1人と言っていいだろう。
[編集] タイトル履歴
- WWF
- WWF世界タッグ王座 : 1回(&デイビーボーイ・スミス)
- WWFジュニアヘビー級
- インターナショナルジュニアヘビー級 : 1回
- 全日本プロレス
- アジアタッグ王座 : 1回(&ジョニー・スミス)
- その他
- イギリス・ライト級
- イギリス・ウエルター級
- 英連邦ジュニアヘビー
- 世界ミッドヘビー(カルガリー地区)
[編集] 得意技
- ダイビング・ヘッドバット
- ツームストーン・パイルドライバー:1983年4月の初代タイガーマスク戦で佐山聡に頚椎損傷の重症を負わせ、欠場に追い込んだ事もある危険な技。
- 高速ブレーンバスター若林アナは「名刀ムラサメ」と呼んでいたこともある。
[編集] 著作
- 『PURE DYNAMITE―ダイナマイト・キッド自伝』 BLOODY FIGHTING BOOKS
- エンターブレイン ISBN 4757706391
[編集] 入場テーマ曲
- 「MAGIC」(ビリー・コブハム)<新日本時代>
- 「CAR WARS」(トム・スコット)<全日本時代>
[編集] 関連項目
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