タケデンバード
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1969年4月25日 |
死没 | 不明 |
父 | アドミラルバード |
母 | エリースコット |
生産 | 新冠橋本牧場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 武市伝一 |
調教師 | 稲葉秀男(中山) |
競走成績 | 26戦6勝 |
獲得賞金 | 5025万0400円 |
クラシックでは、ランドプリンス(皐月賞)・ロングエース(日本ダービー)・イシノヒカル(菊花賞・有馬記念)・タイテエム(天皇賞(春))が覇を競い合っていた『最強世代』の誉れ高き1972年世代の一頭。
クモハタ記念(東京1800メートル)・高松宮杯(中京2000メートル)を優勝した立派な重賞馬である。ところが、この勝ち方が尋常では無かった。何と、勝った重賞(更に初めての特別戦勝ち)が、共に運に助けられての勝利と言う狂運の馬なのである。
1972年のクモハタ記念は、VTRではハクホオショウよりも明らかにクビ差遅れていたが、決勝判定写真の不備(『発表時の手違い』とも言われている)で優勝馬とされた。当時は相当な物議を醸し、これ以降は写真判定が義務付けられる事になった。
翌1973年の高松宮杯では、快調に逃げる2番人気のハマノパレード(前走の宝塚記念優勝)が直線で落馬転倒し競走中止した。離されていた2番手を走っていた同馬が、お蔭で何の不利も受けずに1着入線。1番人気のベルワイドが3着止まりだった事もあり万馬券決着となった。しかも、勝てると思っていなかったのか馬主・調教師共に不在。鞍上も今回初騎乗の蓑田早人であった。
だが、翌年連覇を狙って参戦した高松宮杯では、宝塚記念優勝で波に乗るハイセイコーに完敗。以降は引退迄の2戦共に惨敗。京王杯オータムハンデキャップは落馬競争中止、ラストランとなった毎日王冠は離された殿負けに終わった。