タイキブリザード
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年3月12日 |
死没 | - |
父 | シアトルスルー |
母 | ツリーオブノレッジ |
生産 | H&Yブラッドストック |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | (有)大樹ファーム |
調教師 | 藤沢和雄(美浦) |
競走成績 | 中央20戦6勝 海外3戦0勝 |
獲得賞金 | 5億6163万2000円 33000ドル |
タイキブリザードは、アメリカ産まれの日本の競走馬。半兄にはGI5勝のシアトリカル(ヒシアマゾンらを輩出)がいる。
[編集] 戦績
1994年の東京競馬でデビュー。血統背景や馬体から大物外国産馬との評価を受ける。新馬、500万下条件戦を連勝し、毎日杯、ラジオたんぱ賞、函館記念で2着するなどの活躍する。
翌1995年の谷川岳ステークスで遅まきながら初のオープン勝ちを挙げ、安田記念に挑戦、ハートレイクの3着と健闘する。続く宝塚記念もダンツシアトルの2着、秋は富士ステークス(当時はオープン特別)2着を経て、ジャパンカップはランドの4着、有馬記念はマヤノトップガンの2着と重賞未勝利ながらGI戦線で常に上位に入線する。
そして1996年の大阪杯で待望の重賞初勝利を挙げ、京王杯スプリングカップ(2着)を経て安田記念に出走。しかしトロットサンダーにハナ差の2着と惜敗し、前年の雪辱を果たせなかった。休養後、ブリーダーズカップ・クラシック出走のため海外に遠征。しかしアメリカのダートが合わなかったのかしんがり負けを喫してしまう。奇しくも同日の東京競馬場で行われた天皇賞(秋)では、2歳下の僚馬バブルガムフェローが3歳での天皇賞制覇を果たしていた。藤沢調教師は電話を通してこのときの実況を聞いていたという。
帰国後はしばらく休養し、1997年の京王杯スプリングカップをレコードで勝利、2度目の重賞制覇を遂げると、3年連続で安田記念に出走。1番人気に支持され、最後は皐月賞馬・ジェニュインとの叩き合いを制し、遂にGI初制覇を果たした。
安田記念で悲願のGIを制し、マイルに活路を見出したタイキブリザードは、その後前年に引き続き海外遠征を試み渡米。ブリーダーズカップ・マイルを目指し、前哨戦のオークツリーBCマイルハンデキャップで3着と好走し期待を集めた。だが本番直前になって陣営は何故か昨年最下位に敗れたブリーダーズカップ・クラシックに目標を変更し、結果勝ち馬から20馬身以上放され9頭立ての6着に敗れた。ちなみにこの時の陣営の判断は、現地メディアに「史上最も不可解な決断」と伝えられた。また後日、藤沢和雄調教師はこの時の出走変更について雑誌のインタビューにおいて、「1分33秒台(の決着)では(出走していたとしても優勝は)無理だった」と語っている。帰国後の有馬記念9着後、現役を引退し、種牡馬となったが活躍馬があまり出ず、2005年に種牡馬を引退した。現在、日高ケンタッキーファームで余生を送っている。
[編集] 重賞勝鞍
- (GI)安田記念
- (GII)産経大阪杯、京王杯スプリングカップ
[編集] 代表産駒
タイキブリザードの血統 (ボールドルーラー系(ナスルーラ系)/Hail to Reason4×3=18.75%) | |||
父
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning 1968 黒鹿毛 |
Boldnesian | Bold Ruler |
Alanesian | |||
Reason to Earn | Hail to Reason | ||
Sailing Home | |||
My Charmer 1969 鹿毛 |
Poker | Round Table | |
Glamour | |||
Fair Charmer | Jet Action | ||
Myrtle Charm | |||
母
*ツリーオブノレッジ 1977 鹿毛 |
Sassafras 1967 鹿毛 |
Sheshoon | Precipitation |
Noorani | |||
Ruta | *ラティフィケイション | ||
Dame d'Atour | |||
Sensibility 1971 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | |||
Pange | *キングスベンチ | ||
York Gala F-No.3-h |
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