セイロン沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セイロン沖海戦( - おきかいせん)とは1942年4月5日から4月9日にインド洋のセイロン島沖で日本海軍の空母機動部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた海戦。連合軍側の呼称はインド洋空襲(Indian Ocean raid)。
目次 |
[編集] 本海戦に至る経緯
先のマレー沖海戦で大損害を被ったイギリス海軍東洋艦隊はインド洋セイロン島、コロンボ基地並びにトリンコマリー軍港に退避していた。しかし、本国艦隊からの増援を受け戦艦5隻空母3隻の大艦隊に戻っていた。日本軍の当面の敵は米海軍太平洋艦隊であったがインド洋の大英帝国海軍は日本への資源供給地となったインドネシアの安全を脅かす最大の脅威であった。
このころ日本軍はジャワ島を攻略し、第一段作戦である南方資源地帯占領(南方作戦)が終了した。しかし、日本側としては南方作戦が予想よりも早く終了したため、第二段作戦の検討がされ始めていたが、セイロン島に進出してインド・中国方面を攻略し、ドイツ・イタリアと連携作戦(西亜打通作戦)を目指す陸軍側と、オーストラリア大陸攻略またはサモア諸島まで進出して米豪遮断作戦を目指す海軍側(特に軍令部)とが対立し、最終目標をどことするのかが決まらない状態であった。この状況において、虎の子の空母機動部隊(南雲機動部隊)をインド洋に転用し、戦力の復活しつつあったイギリス海軍東洋艦隊を撃滅すべく行われたのが、インド洋作戦である。しかし、作戦を行う現地の状況がほとんどわからない状態で行われたこの作戦は、作戦目標もあまり明確でなく、最終的にもあまり戦果の上がらない状況であった。
なお、日本海軍の空母「加賀」は2月にパラオで座礁したため参加せず、また金剛型戦艦が4隻とも参加している。
[編集] 戦闘経過
1942年4月5日、セレベス島南東岸スターリング湾を出撃した南雲機動部隊の艦載機180機の攻撃隊がコロンボを空襲。コロンボ周辺の天候はあまり芳しくなかったが、コロンボ攻撃の途上で英雷撃機を数十機撃墜した。攻撃隊は港湾施設と飛行場を攻撃し、駆逐艦テネドスと仮装巡洋艦ヘクター撃沈。しかし、攻撃隊にも巡洋艦発見の報が届き、港湾には英艦隊の主力は存在せず、小型船を除くと目標が乏しく概に攻撃が完了していたこともあって撤退した。
このときサマヴィル中将は4月1日頃に日本軍の攻撃があるとの情報を得て、艦隊をインド洋西部、モルジブ諸島のアッズ環礁に退避させていた。しかし、日本軍は現れなかったため、サマヴィル中将はこの情報が誤報だったのか、あるいは日本軍の作戦が延期されたものと考え、重巡洋艦ドーセットシャーはコロンボへ、同コーンウォールは船団護衛に、空母ハーミスはトリンコマリーへ向かわせた。
ドーセットシャーとコーンウォールは4月5日の午後、南雲機動部隊に発見され、江草隆繁少佐率いる九九式艦爆隊の急降下爆撃により撃沈された。 南雲機動部隊は南東に退避した後、5日から8日にかけて日英双方が互いを捜し求めたが、接触することはなかった。
4月9日に再びセイロン島北部のトリンコマリー港を空襲。攻撃隊は飛行場と港湾を強襲。迎撃機のほか飛行場の地上機、港湾施設を破壊したが、在泊の輸送船数十隻には攻撃がまわらず、「第二次攻撃の要あり」と打電した。しかし、攻撃隊の帰投中に「空母一、駆逐艦一、南下中」と敵艦発見が知らされた。
英空軍ブレニム爆撃機(9機)は南雲機動部隊を奇襲攻撃した。第二次攻撃隊に用意していた艦爆隊が空母攻撃に出払っていて、ツリコマリー攻撃から帰還した第一次攻撃隊に補給を行い、攻撃機に魚雷を積んでいる最中だった。赤城を狙って編隊爆撃を行い、爆弾は挟叉させたが命中しなかった。爆撃機は5機が撃墜されたが、防御砲火で直掩戦闘機を1機撃墜した。 ハーミスと駆逐艦ヴァンパイアは逃走していたが、間もなく艦爆隊に発見され撃沈されたほか、付近を逃走していた輸送船も撃沈された。
[編集] 戦闘結果
コロンボ基地並びにトリンコマリー軍港を破壊された英軍東洋艦隊はインド洋での展開を断念。アフリカ東岸のマダガスカル島まで退避。日本軍の完勝であった。 この攻撃を最後に南雲機動部隊は作戦を終了して、本土に帰還した。途中、第五航空戦隊は珊瑚海に分派された。
しかし、この海戦で機動部隊の弱点を感じさせる一幕があった。 空母「赤城」が攻撃換装中に敵機の接近に気づかず、空襲されたのである。 幸運にも命中はせず事なきを得たが、これらの教訓を生かせず、後にミッドウェー海戦で大敗北を喫する事になる。
[編集] 参加兵力
[編集] 日本軍艦艇
司令長官:南雲忠一中将
[編集] 第一航空艦隊 司令長官:南雲忠一中将
[編集] 第一南遣艦隊 司令長官:小沢治三郎中将
[編集] イギリス海軍艦艇と基地航空隊
[編集] 司令長官:J・サマヴィル中将
- 正規空母:「インドミタブル」・「フォーミダブル」
- 軽空母:「ハーミス」
- 戦艦:「ウォースパイト」・「レゾリューション」・「ラミリーズ」・「ロイヤル・ソブリン」・「リベンジ」
- 重巡洋艦:「コーンウォール」・「ドーセットシャー」
- 軽巡洋艦:「エンタープライズ」・「エメラルド」・「ダナエ」・「ドラゴン」
- 蘭軍軽巡:「ヒームスカーク」
- 駆逐艦:「テネドス」他14隻
- 蘭軍駆逐艦:1隻
- 艦載航空機:93機
- 基地航空機:約90機
[編集] 損害
[編集] 日本軍
- 航空機:零戦4機・九九式艦爆10機・九七式艦攻2機
[編集] 英軍
- 沈没喪失
- 軽空母:「ハーミス」
- 重巡:「コーンウォール」、「ドーセットシャー」
- 駆逐艦:「ヴァンパイア」、「テネドス」
- 喪失
- 基地航空機:約50機
[編集] 備考
第一航空艦隊は「ハーミス」に対する攻撃の際、艦爆隊を攻撃に送ったが、艦爆隊による急降下爆撃は45機が投弾に成功し、命中弾はそのうち37発にものぼった。母艦ごとの命中数は赤城2発中2発、飛龍11発中11発、瑞鶴14発中13発、翔鶴18発中13発。左の数値が投弾数で、右が命中数。これは急降下爆撃成功率50%をはるかに超えており(熟練搭乗員の成功率は25%とされている)、南方作戦支援時にセレベス島ケンダリ基地での訓練の効果も相まって、その時点の日本海軍航空隊が恐ろしいほど高い技量を持っていたことを証明するものである。
なお、本作戦は第一段作戦、南方作戦に付随した作戦にあたる。以後、日本海軍は第二段作戦に短期決戦と米豪遮断作戦を並行して推し進める。また、小規模な潜水艦隊でマダガスカルの戦いに参戦し、英連邦の遮断作戦をしている。
[編集] 関連項目
- 太平洋戦争の年表
- 大日本帝国海軍艦艇一覧 - イギリス海軍艦艇一覧
- 第二次世界大戦 - 太平洋戦争
- 海軍 - 大日本帝国海軍- イギリス海軍 - アメリカ海軍
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 戦争スタブ | 太平洋戦争の海戦