吹雪型駆逐艦
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画像は天霧(特II型) |
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性能諸元(特II型竣工時) | |
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基準排水量 | 1680t |
公試排水量 | 1980t |
全長 | 118m |
水線長 | 115.3m |
全幅 | 10.36m |
吃水 | 3.2m |
出力 | 50,000hp |
最大速力 | 38.0kt |
巡航速 / 航続距離 | 14kt / 5000浬 |
乗員 | 219名 |
兵装 | |
12.7cm連装砲 | 3基6門 |
7.7mm機銃 | 2挺 |
61cm3連装魚雷発射管 | 3基 魚雷18本 |
吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)とは、大日本帝国海軍(以下海軍)がワシントン条約下で建造した量産型駆逐艦である。軍艦の名称は一番艦の名称を付けて呼ばれることが多いが、本型は書類上の分類である特型駆逐艦(とくがた―)と呼ばれることが多い。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] ワシントン条約と睦月型駆逐艦
ワシントン条約により、主力艦、航空母艦の保有比率制限(英5:米5:日3)及び巡洋艦の建造制限(排水量10000t以下・搭載砲は重巡で8インチ、軽巡で6.1インチ以下)をうけた。海軍は、それまで八八艦隊計画の予算の都合から中型の一等と小型の二等の2系統で駆逐艦の建造を進めていた。しかし、条約締結によって主力艦の建造保有規模の縮小を余儀なくされたため、それを補完するために制限をうけない軽巡洋艦以下の補助艦艇を整備・強化する事に活路を見出す方針を打ち出した。駆逐艦もこの方針に沿って、計画の見直しで予算の制約もなくなったこともあり、手始めに峯風型駆逐艦の拡大型である睦月型駆逐艦を建造した。
[編集] 新型駆逐艦
睦月型駆逐艦は当時としては高性能かつ重武装艦(速力37.3kt 航続力14ktで4000浬 兵装:61糎三連装魚雷発射管/2基6射線 12糎単装砲四基)であるが、軍令部の要望はそれをはるかに上回る、速力37kt・127mm砲6門・61cm魚雷発射管9射線というものだった。この要請を実現したのが藤本喜久夫造船大佐(当時)である。彼はそれを実現させるため、巡洋艦夕張の手法を取り入れ、新技術(半自動溶接等の新方式の電気溶接法など)を積極的に採用することによって徹底的な軽量化を試み、更に後部主砲を背負い型にすることにより、基準排水量1700トン以下でほぼ要望通りの駆逐艦を設計することに成功した。これが本型である。吹雪型は、強い印象を内外に与え、海軍の分類に準拠した特型駆逐艦という呼称が有名になった。
[編集] 「深雪」の喪失と第四艦隊事件
[編集] 変遷と武装
[編集] 各タイプの外見
本型は、建造期間が長いこともあり、いくつかの種類で分類される。搭載砲によって3タイプに分ける形と、「吹雪」~「潮」までと、機関を改良した「暁」以降4隻の2タイプに分類する形である。本稿では、3タイプに分ける形を取る。
- 特I型(吹雪型)
- 大正12年度計画で建造された初期型10隻を指す。この10隻のみA型と呼ばれる127mm連装砲塔を採用している。最終艦の浦波は、後述のII型と同形の船体にA型砲を搭載しており、I型とII型の折衷的な形態となっている。
- 特II型(綾波型)
- 綾波以降潮までの昭和2年度に計画された10隻を指す。艦橋構造物がI型より大型化し、缶室吸気口がキセル型から碗型に変更された。また、I型に搭載されたA型の40度の仰角を、75度にまで引き上げたB型砲塔を主砲に持つ。
- 特III型(暁型)
- 機能付加により肥大化した艦橋及び、主機関の出力増大と空気余熱機の採用により細くなった一番煙突が、外見上の顕著な特徴である。このことにより航行性能や航続距離は向上したが、デッドウェイトが消失したことによりトップヘビーな状態を発生させ、艦の安定性を欠いたことが第四艦隊事件などの一因になったと言われている。また、最初に魚雷発射管に防盾を標準装備したのもこの型が最初である。
[編集] 50口径三年式12.7センチ連装砲
吹雪型が採用した艦載砲。高角砲を主兵装とした秋月型駆逐艦(乙型)、松型駆逐艦(丁型・改丁型)を除く、これ以降の日本駆逐艦の標準砲として搭載された。荒天時や交戦時の微砕片よけに対応するため、駆逐艦搭載砲としては初めて標準で全周囲に防盾を施した砲でもある。 以下の四タイプが存在する(D型砲は参考:資料にて吹雪型に搭載されたと確認できなかったため、恐らく搭載されていなかったと思われる)。 この砲は本来平射砲であり水平射撃時には初速910m/秒、10発/分の性能を持つ優秀な砲である。そのため、従来通りの艦隊戦(夜戦)を考えた場合は比較的優位性を保つことができるが、時代は航空戦を意識し始めており、(仰角を上げたとはいえ)対空戦に対応していないこの砲は時代遅れであった。結果、この砲を搭載した本型各艦以降、秋月型以前の従来型の艦隊型駆逐艦全体もまた、時代のニーズに取り残された感が否めないといえる。 以下は、各型の特徴。
- A型
- 各タイプの元になった砲で、吹雪から浦波までの初期の艦に搭載された。仰角が40度の平射砲であり、常に2門の砲が同時可動する。
- B型
- 綾波以降の艦に搭載された砲。特徴は、連装された砲が一門ずつ単独で可動するように改良され、仰角の引き上げの実施(40度→75度)が実施されたことである。ただし、仰角を引き上げても専用の高射管制装置は搭載されず、更には弾頭部と炸薬が別のままであり装填時は水平に戻す必要があった。そのため毎分4発(65口径九八式10糎高角砲は19発/分、40口径八九式12.7糎連装高角砲は14発/分)と高射時の装填速度が遅く、米英の同世代の駆逐艦が搭載する両用砲のような対空戦闘は事実上不可能だった。また重量増大のためトップヘビーを引き起こす要因の一つとなった。
- C型
- B型砲を平射専用に戻した砲(75度→55度)。第四艦隊事件後、B型砲搭載艦は、この砲に換装された。
- D型(参考)
[編集] 十二年式三連装魚雷発射管
[編集] 同型艦
建造順に列挙
[編集] 特I型(吹雪型)
- 吹雪(II) - ふぶき :竣工1928年8月10日 戦没1942年10月11日
- 白雪(II) - しらゆき:竣工1928年12月18日 戦没1943年3月3日
- 初雪(II) - はつゆき:竣工1929年3月30日 戦没1943年7月17日
- 深雪(II) - みゆき:竣工1929年6月29日 衝突沈没1934年6月29日
- 叢雲(II) - むらくも:竣工1929年5月10日 戦没1942年6月29日
- 東雲(II) - しののめ:竣工1928年7月25日 戦没1941年12月17日
- 薄雲(II) - うすぐも:竣工1928年7月26日 戦没1944年7月7日
- 白雲(II) - しらくも:竣工1928年7月28日 戦没1944年3月16日
- 磯波(II) - いそなみ:竣工1928年6月30日 戦没1943年4月9日
- 浦波(II) - うらなみ:竣工1929年6月30日 戦没1944年10月26日
[編集] 特II型(綾波型)
- 綾波(II) - あやなみ:竣工1930年4月30日 戦没1942年11月15日
- 敷波(II) - しきなみ:竣工1929年12月24日 戦没1944年9月12日
- 朝霧(II) - あさぎり:竣工1930年6月30日 戦没1942年8月28日
- 夕霧(II) - ゆうぎり:竣工1930年12月3日 戦没1943年11月25日
- 天霧 - あまぎり:竣工1930年11月10日 戦没1944年4月23日
- 狭霧 - さぎり :竣工1931年1月31日 戦没1942年12月24日
- 朧(II) - おぼろ :竣工1931年10月31日 戦没1942年12月24日
- 曙(II) - あけぼの:竣工1931年7月31日 戦没1944年11月13日
- 漣(II) - さざなみ:竣工1932年5月19日 戦没1944年1月14日
- 潮(II) - うしお :竣工1931年11月14日 除籍1945年9月15日 解体1948年8月4日
[編集] 特III型(暁型)
- 暁(II) - あかつき:竣工1932年11月30日 戦没1942年11月12日
- 響(II) - ひびき :竣工1933年3月31日 除籍1945年10月5日
特別輸送艦(復員艦)として使用後、ソ連に賠償艦として1947年7月5日引き渡し - 雷(II) - いかずち:竣工1932年8月15日 戦没1944年4月14日
- 電(II) - いなずま:竣工1932年11月15日 戦没1944年5月14日
[編集] 関連項目
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