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シュテフィ・グラフ(Steffi Graf, 1969年6月14日 - )は、旧西ドイツ・ブリュール生まれの女子プロテニス選手。本名は「シュテファニー・マリア・グラフ」(Stefanie Maria Graf)というが、「シュテフィ・グラフ」の名前で最もよく知られている。2歳年上のボリス・ベッカーとともに、ドイツのテニス界の黄金時代を築いたスター選手である。フォアハンド・ストロークの強打とバックハンド・スライスを武器にした選手で、ドイツでは“Fräulein Forehand”(フロイライン・フォアハンド、「フォアハンド嬢」の意味)と呼ばれた。どんなサーフェス(表面)のテニスコートでも安定した強さを発揮する選手であり、テニス界屈指の実力派美人選手として人気も高かった。WTAツアーでシングルス107勝(女子歴代3位)、ダブルス11勝を挙げた。
[編集] 概説
- 女子国別対抗戦・フェドカップ(旧名称「フェデレーション・カップ」)の西ドイツ代表(東西ドイツ再統一が実現した1990年以後は、統一ドイツ代表)としても、1987年と1992年の2度優勝を飾っている。しかしフェドカップのグラフは、1993年の1回戦でオーストラリア代表のニコル・プロビスに敗れるなど意外な敗戦も。
- なお、フェドカップでの戦いで、日本のテニス界を大いに沸かせた試合がある。それは、1996年4月28日に日本の東京・有明コロシアムで行われた「ワールドグループ」1回戦の伊達公子戦。この試合ではグラフが第1セットを 5-0 でリードしていたが、ここから伊達が大逆転で先取し、第2セットはグラフが奪い返したが、第3セットは22ゲーム目までもつれ、6-7, 6-3, 10-12のスコアで伊達が勝利。グラフとは7度目の対戦での初勝利であった。(ちなみに、グラフが伊達に敗れたのはこの1度だけ)また、この試合の後、2勝2敗で迎えた最後のダブルス戦で、グラフはアンケ・フーバーと組んでダブルスにも出場。しかし杉山愛&長塚京子組に 6-4, 3-6, 3-6 の逆転負けを喫し、ドイツは日本に敗退した。(フェド杯対戦表)
- グラフ-伊達戦の名勝負としては、もうひとつ、両者が戦った最後の公式戦となった同年7月のウィンブルドン準決勝が挙げられよう。グラフが6-2,2-0とリードした後、伊達が6ゲーム連取し、セットカウント1-1となったところで、日没順延に。こうして1996年7月4日 - 5日の2日がかりで行われた試合は、最終セットをグラフが取り、 グラフが6-2, 2-6, 6-3 で勝ったが、これらのグラフvs伊達の最後の公式戦2試合は当時の日本のテニスファンが最も盛り上がった瞬間と言えるだろう。
- 現役引退後の2001年10月22日に、元プロテニス選手のアンドレ・アガシと結婚。アガシとの間に1男1女。2004年7月11日に国際テニス殿堂入りを果たした。また、1998年12月に設立した基金「チルドレン・フォー・トゥモロー」(Children for Tomorrow)を通して、慈善活動にも積極的に携わっている。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン:4勝(1988年、1989年、1990年、1994年)
- 全仏オープン:6勝(1987年、1988年、1993年、1995年、1996年、1999年) [大会歴代2位]
- ウィンブルドン:7勝(1988年、1989年、1991年、1992年、1993年、1995年、1996年) [大会歴代3位]
- 全米オープン:5勝(1988年、1989年、1993年、1995年、1996年)
年 |
大会 |
対戦相手 |
スコア |
1987年 |
全仏オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
6-4, 4-6, 8-6 |
1988年 |
全豪オープン |
クリス・エバート |
6-1, 7-6 |
1988年 |
全仏オープン |
ナタリア・ズベレワ |
6-0, 6-0 |
1988年 |
ウィンブルドン |
マルチナ・ナブラチロワ |
5-7, 6-2, 6-1 |
1988年 |
全米オープン |
ガブリエラ・サバティーニ |
6-3, 3-6, 6-1 |
1989年 |
全豪オープン |
ヘレナ・スコバ |
6-4, 6-4 |
1989年 |
ウィンブルドン |
マルチナ・ナブラチロワ |
6-2, 6-7, 6-1 |
1989年 |
全米オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
3-6, 7-5, 6-1 |
1990年 |
全豪オープン |
メアリー・ジョー・フェルナンデス |
6-3, 6-4 |
1991年 |
ウィンブルドン |
ガブリエラ・サバティーニ |
6-4, 3-6, 8-6 |
1992年 |
ウィンブルドン |
モニカ・セレシュ |
6-2, 6-1 |
1993年 |
全仏オープン |
メアリー・ジョー・フェルナンデス |
4-6, 6-2, 6-4 |
1993年 |
ウィンブルドン |
ヤナ・ノボトナ |
7-6, 1-6, 6-4 |
1993年 |
全米オープン |
ヘレナ・スコバ |
6-3, 6-3 |
1994年 |
全豪オープン |
アランチャ・サンチェス |
6-0, 6-2 |
1995年 |
全仏オープン |
アランチャ・サンチェス |
7-5, 4-6, 6-0 |
1995年 |
ウィンブルドン |
アランチャ・サンチェス |
4-6, 6-1, 7-5 |
1995年 |
全米オープン |
モニカ・セレシュ |
7-6, 0-6, 6-3 |
1996年 |
全仏オープン |
アランチャ・サンチェス |
6-3, 6-7, 10-8 |
1996年 |
ウィンブルドン |
アランチャ・サンチェス |
6-3, 7-5 |
1996年 |
全米オープン |
モニカ・セレシュ |
7-5, 6-4 |
1999年 |
全仏オープン |
マルチナ・ヒンギス |
4-6, 7-5, 6-2 |
[編集] 4大大会女子シングルス優勝記録
- *は現役選手。
[編集] 関連項目