メアリー・ジョー・フェルナンデス
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女子 テニス | ||
金 | 1992 | ダブルス |
金 | 1996 | ダブルス |
メアリー・ジョー・フェルナンデス(Mary Joe Fernández, 1971年8月19日 - )は、アメリカの女子プロテニス選手。4大大会で3度のシングルス準優勝を記録し、全豪オープンで1990年と1992年の2度、全仏オープンで1993年に準優勝した。ダブルスの名手としても活躍し、4大大会では1991年の全豪オープンと1996年の全仏オープンで優勝している。1992年のバルセロナ五輪と1996年のアトランタ五輪の2大会連続で、アメリカ代表としてダブルスの金メダルを獲得した。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス19勝を挙げる。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルスの自己最高ランキングは4位。出身地はドミニカ共和国で、父親はスペイン出身、母親はキューバ人である。
1985年の全米オープンで、史上最年少の「14歳8日」で初戦を突破する。1986年にプロ転向し、全仏オープンで準々決勝に進出。ジュニア時代からガブリエラ・サバティーニに相性が良く、プロ選手生活でも「10勝13敗」の戦績を挙げた。“サバティーニ・キラー”と呼ばれたフェルナンデスだったが、シュテフィ・グラフには17度の対戦で1度も勝てなかった。1990年の全豪オープン決勝戦では、そのグラフに 3-6, 4-6 で敗れて準優勝になる。この年に東京・有明コロシアムで新設された「ニチレイ・レディース」の第1回大会で単複2冠を獲得したが、シングルスではこれがフェルナンデスのプロ初優勝だった。ニチレイ・レディースのダブルスでは、1990年-1992年の3連覇の後、1995年にも優勝がある。1992年は全豪オープン決勝でモニカ・セレシュに 2-6, 3-6 で敗れ、2年ぶり2度目の決勝進出でまた優勝を逃したが、バルセロナ五輪のダブルスでジジ・フェルナンデスとペアを組んで金メダルを獲得した。
1993年の全仏オープンは、フェルナンデスのテニス人生でも最大のハイライトだった。準々決勝でガブリエラ・サバティーニと対戦中、1-6, 1-5 に追い詰められたが、そこから挽回して第2セット 6-6 に追いつき、タイブレークを取って持ち込んだ第3セットを 10-8 で取る大逆転勝利を挙げたのである。そして自身3度目の4大大会決勝進出を果たしたが、シュテフィ・グラフに 6-4, 2-6, 4-6 の逆転で敗れてしまう。これでフェルナンデスは4大大会で3度の準優勝になり、シングルスのタイトルを獲得することはできなかった。
1996年のアトランタ五輪のダブルスで、前回と同じジジ・フェルナンデスとのペアで2大会連続の金メダルを獲得した。この年は全仏オープンのダブルスでも優勝し、1991年の全豪オープン以来となる4大大会ダブルス2勝目を挙げた。五輪をジジ・フェルナンデスと組んだほかは、リンゼイ・ダベンポートとペアを組んで好成績を挙げ、1996年にフェルナンデスとダベンポートのコンビは年間4勝を記録している。1997年がシングルス、ダブルスとも最後の優勝になった。キャリア後期の活躍には、1999年の全仏オープン3回戦で若きセリーナ・ウィリアムズを破った試合があった(故障で次の4回戦を断念している)。2000年に現役を引退した。