ヘレナ・スコバ
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ヘレナ・スコバ(Helena Suková, 1965年2月23日 - )は、旧チェコスロバキア・プラハ出身の元女子プロテニス選手。4大大会の女子シングルスで4度の準優勝があり、全豪オープンで2度、全米オープンで2度ずつの準優勝に終わった。当時のチェコスロバキアでも名門のテニス一家に育ち、母親のベラ・スコバ(1931年 - 1982年)も1962年のウィンブルドン準優勝の経歴を持つ名選手だった。父親のシリル・スーク(Cyril Suk)は長年「チェコスロバキア・テニス連盟」の会長を務めた人である。また、実弟のシリル・スーク3世もATPツアーを回っていたプロ選手である。
母親のベラ・スコバが1982年5月13日に死去した後、娘のヘレナは1983年1月にプロ入りした。1984年、当時は年末の12月開催であった全豪オープンで、スコバは準決勝でマルチナ・ナブラチロワを 1-6, 6-3, 7-5 で破る大金星を挙げ、世界のテニスファンを驚かせた。この当時、全盛期にあったナブラチロワは前年の1983年ウィンブルドンから1984年全米オープンまで前人未到の4大大会「6連勝」と、シングルス「74連勝」を記録中だった。しかし、このスコバ戦の敗北により、ナブラチロワは1984年度の“年間”グランドスラムを逃すことになり、2つの大記録がストップしてしまう。こうして4大大会シングルス決勝に初進出したスコバだったが、決勝ではクリス・エバート・ロイドに 7-6, 1-6, 3-6 の逆転で敗れた。1986年の全米オープン決勝ではナブラチロワに 3-6, 2-6 で敗れ、4大大会シングルスで2度目の準優勝になる。
その後もスコバは4大大会のシングルスでは運に恵まれず、1989年は全豪オープンで2度目、1993年は全米オープンで2度目の準優勝に終わる。後の2回は、決勝で敗れた相手はシュテフィ・グラフであった。スコバとグラフは、1983年夏の初対戦ではスコバが勝利したが、その後はグラフの21連勝で終わっている。これでスコバの4大大会シングルス準優勝は4度になった。スコバはWTAツアーのシングルスでは「10勝」を挙げたが、その中には1992年に日本の大阪で開かれたトーナメントの優勝も含まれている。
ヘレナ・スコバはダブルスの名手としてよく知られ、ツアー通算「68勝」を挙げた。4大大会でもダブルスでは9勝している。
1990年にスコバは同じチェコのヤナ・ノボトナとペアを組み、4大大会ダブルス3連勝を記録したが、全米オープンの女子ダブルス決勝で敗れ、1984年のマルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー組以来の「ダブルス年間グランドスラム」を逸している。1996年のウィンブルドン女子ダブルスでは、当時15歳のマルチナ・ヒンギスとペアを組んで優勝を飾った。また日本の「東レ・パン・パシフィック・テニス」のダブルスでも、1984年、1985年、1988年、1992年、1993年の5度優勝している。
やがてスコバにも年齢的な衰えが訪れ、1995年のウィンブルドンではシングルス2回戦で日本の神尾米選手に敗れてしまう。1998年7月に33歳で現役を引退した。
記事中にある写真は、ヘレナ・スコバがイギリスのジョー・デュリーとペアを組んで2004年ウィンブルドンの「シニア女子ダブルス部門」の決勝を戦った時のものである。(スコバは手前の位置に立ち、デュリーのバックハンド・ストロークを見ている。)