ジェニファー・カプリアティ
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女子 テニス | ||
金 | 1992 | シングルス |
ジェニファー・カプリアティ(Jennifer Capriati, 1976年3月29日 - )は、アメリカ・ニューヨーク市出身の女子プロテニス選手である。パワーテニスを展開するベースライン・プレーヤーで、強力なフォアハンド・ストロークを持ち味とする。
1990年3月、14歳の誕生日の2週間前にプロ転向を認められ、直ちに全仏オープンでベスト4進出を果たす。その年に16歳6ヶ月で大会最年少優勝を飾ったモニカ・セレシュに敗れたが、「天才少女」の出現は人々を驚かせた。その後も天才ぶりを発揮し、1992年のバルセロナ五輪では女子シングルス決勝で当時の女王シュテフィ・グラフを 3-6, 6-3, 6-4 で破り、16歳にして金メダルを獲得。しかし、燃え尽き症候群から過ちを犯しテニスから遠ざかる。
1996年テニス界に復帰。1999年の全米オープンにて「過去との決別」を宣言し、6年間の歳月を経て燃え尽き症候群から回復した。2000年の全豪オープンでは準々決勝で杉山愛を破り、初のベスト4進出。2001年の全豪オープン決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-4, 6-3 で破り、少女時代に果たせなかった4大大会初優勝を実現させる。続く全仏オープンでも決勝でベルギーの18歳、キム・クライシュテルスを 1-6, 6-4, 12-10 で破り、4大大会に2連続優勝を達成する。2001年10月15日、ヒンギスを抜いて自己最高の世界ランキング1位になった。2002年の全豪オープンではヒンギスにマッチ・ポイント4本を握られながらも、そこから逆転して大会2連覇を飾った。それ以後はウィリアムズ姉妹やベルギー勢などの台頭もあり、4大大会の優勝から遠ざかっている。
2003年は前年オフの目の手術などの影響で全豪オープンに初戦敗退を喫し、大会3連覇を逃した。同年の全米オープン準決勝でジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れた試合のように(決勝進出まであと2ポイントに迫りながらも逆転負け)、惜しい試合展開で4大大会決勝進出を逃すケースが多い。年齢的にはベテランの域に入ったが、少女時代よりもはるかに強靭なテニスで観客に感動を与え続けている。(2005年度は肩の手術のため、ほとんど試合に出場できなかった。)
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